再起をかける10番の「ファンタジフタ」 G大阪U-23の背番号にまつわるストーリー

下薗昌記
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厳しい立場に置かれている現状

相手の急所を突くようなパスが持ち味の二川。時に味方さえも欺く創造性を持っている 【写真:アフロスポーツ】

 3度のワールドカップ(W杯)優勝を経験したサッカーの王様ペレ。1958年のW杯で偶然用いた背番号10にエースナンバーという命を吹き込んだのはブラジルの国民的ヒーローである。その後、ミッシェル・プラティニやディエゴ・マラドーナ、ロナウジーニョ、リオネル・メッシらに受け継がれた背番号10は現在、ファンタジスタの代名詞として世界中で認識されている。

 コアなガンバ大阪サポーターは、「フタ」の愛称で知られる二川孝広のことを「ファンタジフタ」と呼ぶ。身長168センチ、体重63キロの小柄な体格ではあるが、俯瞰的な視野から繰り出されるスルーパスは唯一無二の精度を持つ。

 攻撃の全権を握る遠藤保仁が、チェスさながらに2手、3手を先読みした理詰めのパスで攻撃を組み立てるのとは対照的に、ピンポイントで相手の急所を突く感性のパスが二川の持ち味。時に味方さえも欺く創造性を持つ彼は、サッカー界で絶滅危惧種になりつつあるファンタジスタなのだ。

 攻撃陣に豪華補強を施した今季のG大阪の中盤は、昨年に日本代表デビューを果たした倉田秋でさえ定位置を約束されていない激戦区。現状の二川はポジション争いに割って入ることができない厳しい立場に置かれている。

 今季はU−23がJ3リーグに新規参入することもあり、総勢37人の大所帯となったG大阪。トップチームとU−23組が初めて分かれて練習を行った1月10日、二川はルーキーら7人とともに、静かにボールを蹴っていた。

 1月の始動直後、長谷川健太監督から伝えられた言葉は「J3の方で若手を引っ張っていくぐらいの気持ちでやって欲しい」ということ。

 イビチャ・オシム体制下の日本代表でもプレーし、2003年以降、G大阪で背番号10を背負い続けてきた天才パサーだが、昨年のJ1リーグでの出場数はわずか2試合。99年にG大阪ユースからトップへ昇格して以来、最も出番から遠ざかったシーズンだった。
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著者プロフィール

1971年大阪市生まれ。師と仰ぐ名将テレ・サンターナ率いるブラジルの「芸術サッカー」に魅せられ、将来はブラジルサッカーに関わりたいと、大阪外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科に進学。朝日新聞記者を経て、2002年にブラジルに移住し、永住権を取得。南米各国で600試合以上を取材し、日テレG+では南米サッカー解説も担当する。ガンバ大阪の復活劇に密着した『ラストピース』(角川書店)は2015年のサッカー本大賞で大賞と読者賞に選ばれた。近著は『反骨心――ガンバ大阪の育成哲学――』(三栄書房)

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