“血統”を継ぐ大西勝敬の決意 フィギュアスケート育成の現場から(13)

松原孝臣

恩師・山下艶子、佐藤信夫の教え

大西は山下艶子のあと、佐藤信夫(右)から教えを受けた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 大西は、スケートを始めてから、当時有数の指導者だった山下艶子に指導を仰いできた。山下は佐藤信夫が選手であった頃に指導した人でもある。

 山下のあと、大西は佐藤の指導を受けた。山下、佐藤の指導は共通していた。基本を大切にすることだった。

「山下先生にはコンパルソリーを手取り足取り教えていただきましたし、自分の頭の中に基本を植えつけていただいたのは、山下先生、そして佐藤先生のおかげです。つまり、同じ血、同じ血統なんです。山下先生、佐藤先生、僕、(小塚崇彦の父の)小塚(嗣彦)さん。小塚さんの息子さんも、その血統にありますね」

 そのあと、大西は、自身を“ぺえぺえ”と言った理由を説明した。

「佐藤先生をはじめ、山田(満知子)先生、長久保先生、僕よりご年配の方がスケート界を支えています。だから僕なんて、ぺえぺえなんです」

 そう思ったとき、大西は1つの疑問が浮かんだという。
「じゃあなぜ、年配の方々が今も支えているんだろう、そこに割って入る若い指導者が出てこないんだろう」

 考えていくうちに、答えが浮かんできた。
「佐藤先生をはじめ、共通しているのは、フィギュアスケートの基礎が頭に、体の中に入っているということです。だから上手に伝えて教えられるんだろうなと思う。そこまで体に染み付いていなかったら、どうしても理屈というか講釈をつけて教えざるを得ない。それだとうまく教えられないですよね」

 息を継ぐと、大西は続ける。

「(11月の)全日本ジュニア選手権に行ったとき、他のリンクで教えている人と話をしていて、『やっぱり基本が大事だよね』という結論になりました。基本ができていないというのは、上の方に行ったときにばれてしまうんですよ。4回転を跳べた、3回転を跳べたといっても、上位になっていけば、みんなが跳んでくる。そうなるとどこで差がつくかと言えば、ステップやスピンなどです。そのとき、慌ててスケーティングに取り組んでも手遅れ。たし算が分からないのに、掛け算ができるわけはない。佐藤先生たちともそういう話をするんですけど」

その血を絶やさないように

 だから思う。

「37、38あたりより歳が下の人は、コンパルソリーを知らない。今後、基本を教えられる人が減っていくと、危険ですね」

 そう感じるからこそ、大西は、今、こんな抱負を抱いている。
「早く若い子を育てないと」

 それは選手を育てるという意味だけではない。
「いつまでも佐藤先生たちに頼っているようじゃね。若い指導者に台頭してほしい。自分も指導者を育てるような歳になってきたなと思います」

 好きではなかったのに、選手であった頃も含め、50年を超える時間をフィギュアスケートに費やしてきた。

 今も好きではないのだろうか。そう尋ねると、笑ってこんな答え方をした。

「僕はね、親に感謝しているんですよ。スケートを始めたとき、僕に許可もなくですが(笑)、山下先生に習えるようにしてくれた。親の方針として、何でも一流のものを勉強しないといけないというのがあったからです。だからここまで来られた気がします。ものごと、何でも一流に学ぶことが大事じゃないですかね」

 山下に教わり、おそらくはそのことによって佐藤からも教わり、そこで得た指導を自身の財産にして、“同じ血統”の指導者として、スケート界にいる。

 そして今、その血を絶やさないようにと考えている。

(第14回に続く/文中敬称略)

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著者プロフィール

1967年、東京都生まれ。フリーライター・編集者。大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後「Number」の編集に10年携わり、再びフリーに。五輪競技を中心に執筆を続け、夏季は'04年アテネ、'08年北京、'12年ロンドン、冬季は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、'10年バンクーバー、'14年ソチと現地で取材にあたる。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)『フライングガールズ−高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦−』(文藝春秋)など。7月に『メダリストに学ぶ 前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)を刊行。

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