通例を覆し、完璧に準備した工藤監督=鷹詞〜たかことば〜

田尻耕太郎

選手たちに送った最大級の賛辞

前年日本一のチームを引き継ぎ、連覇に導いた工藤監督 【写真は共同】

 工藤公康監督が、プロ野球の歴史に唯一の名を刻んだ名将となった。

 今年の日本シリーズは福岡ソフトバンクが4勝1敗で東京ヤクルトを圧倒。悲願だった球団初(前身の南海、ダイエーを含む)の2年連続日本一に輝いた。

 昨年は秋山幸二監督が率いたチームを突然の形で引き継いだ。日本一球団の監督交代劇自体、今回を含めても2例しかいない。1人目だった野口明監督(中日・1955年)は初年度をリーグ2位で終えている。工藤監督はプロ野球史上初めて就任1年目でリーグ連覇を成し遂げ、それのみならず、連続日本一も達成した新監督となったのだ。

 日本一インタビューでは「感無量」と開口一番に言い、「この選手たちとずっと野球をやりたいです。キャンプの時はわからないこともたくさんあったんですけど、その中で受け入れてくれて、いろいろ注文もあったと思いますけど、向上心を持ってやってくれました。苦しいシーズン、そしてCSでも、1つも負けるつもりはないと言ったとき、それを信じてくれたからここまで来られたと思います。日本シリーズも、ヤクルトさんはセ・リーグの混戦を勝ち抜いた強いチームでした。それでも一丸となって戦っていけたというのは本当に選手たちのお陰です。本当にみんなありがとう」と、ナインには、最大級の賛辞の言葉を送った。

選手のチカラを信じた一方で……

 この1年間、とにかく選手たちのチカラを信じ続けた。

「選手がよくやっている」

「グラウンドでプレーするのは選手だから」

「俺の一番の仕事は、選手が100パーセントのコンディションでプレーできるように、送り出すこと」

 グラウンドに立つ上で、勇気と自信を持って戦えるように。そんな心配りが常に見てとれた。だから、試合に敗れたときもメディアの前で個人批判をしなかった。その代わり、自分の采配ミスだと思えば素直に認め、「申し訳ないと思う」「俺のせいで先発投手に勝ちをつけてやれなかった」など謝罪の言葉を口にした。

 その一方で、ただ優しいだけの監督ではない。

 ある時、不甲斐無い結果だった若手選手を監督室に呼び対話をする中で、彼が自分の限界を決めつけてしまっているような発言をした。選手にはそのつもりがなかったのだろうが、工藤監督にはそう聞こえた。すると激しく叱責(しっせき)し、椅子を蹴りあげて怒った。別の選手のときも「翌日のウオーミングアップを見て、少しでも気を抜いたり、ふて腐れたりするようなところが見えれば、その場で即2軍に落とすから」と球団スタッフに明かしたこともあった。

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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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