羽生結弦ら一流選手を育てた名伯楽 都築章一郎の「本物」を追求した50年

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佐野を育てた経験が羽生の指導に生きた

――佐野さんを育てた経験が、他の選手を指導する際に生かされた部分はあるのですか?

 私が言うのもおかしいですけど、佐野を育てた経験が羽生を育てるときに役立ちました。短い期間で伝えることができ、指導の仕方や環境を作り上げる点において容易になっていた背景もありました。佐野の練習量に比べれば、羽生は3分の1以下くらいでああいう形になったと思いますね。男子を導いていく上で、私はすでに佐野で苦労していた。羽生の場合はそれが私の根っこにありましたから、効果的にあの子を導くことができたと思います。

佐野さんを育てた経験が、羽生(写真)を育てるときに役立ったという 【写真:アフロスポーツ】

――佐野さんを育てるときはやはりまだ手探りだった?

 もう本当に手探りですね。とにかく何もない状態で、当時はコンパルソリーという規定もあった。今とはルールも違いましたけど、一つの良いものを作るための条件は全く何もなかったんです。日本独自の指導でどうにかするには、非常に大変なことでした。そういう意味では、佐野に関しては日本人だけの手で作った選手なんですね。

 羽生の場合は海外に行き、海外のいろいろな人たちの協力を得て、ああいう形にでき上がりました。でも昔はコーチのレベルも低い、環境もない、選手たちも周りに見本がない、何もない状態でただ先生と家族と本人の絆だけでやってきたというのが事実なんです。そういう点では第1期生が佐野であったということは、非常に良い子供や家族と出会うことができたという意味で、私にとって大きなプラスだったと思います。

――佐野さんを指導する上で大切にされたことは?

 激しい訓練もしますから、精神的にも肉体的にも耐える子供であると同時に、それをバックアップする家族の存在が佐野にはあったということが、私にとっては大きなプラスでした。それがなかったら、私のトレーニング方法では付いてきてくれる子供はなかなかいなかったと思います。

――それくらいハードだったと?

 はい(笑)。本当にもう気が狂うくらい練習を繰り返しましたし、またそれをやってくれました。だからこそ継続できたわけで、継続の中からいろいろな技術が生まれたんですね。

――羽生選手を指導したときは、佐野さんのときのように気が狂うほど練習したわけではなかったのですか?

 いや、そうしていたら続かなかったと思いますよ(苦笑)。私は佐野の時代にそういうことをやってきたから、羽生と出会っても冷静にあの子に伝えることができた。同時に条件的に何が必要かというのも、佐野を指導したことでよく分かっていましたから、ご両親にも「こういうことが必要です」と言うことができた。それに対して、ご両親も非常に協力的にやってくれていたということも大きかったですね。

フィギュアスケートを文化にしたい

――現在77歳ですが、今も第一線でコーチを続けていられるモチベーション、原動力は何なのでしょうか?

 本当は井上怜奈で終わりにしようと思っていたんですよ(笑)。自分の集大成にしようかなと思っていたんですけど、それが仙台で羽生に出会って、新しい意欲が生まれたんですね。そして今は神奈川にいる。佐野と最初にスケート場を作ったのが神奈川だったんです。だから、もう一回出だしに戻って神奈川で骨を埋めるのかなって思ったりもしていますね。今では羽生を育てたときのことを思い浮かべながら、小さい子供たちを指導しています。

神奈川スケートリンクで子供たちを指導する都築コーチ(中央) 【スポーツナビ】

――羽生選手と出会ったことで都築コーチの指導者人生も変わったのですね。

 そうですね。ルールも変わりますし、常に進化しないといけない。基本的な物の考え方というのはたぶん佐野と出会ったときと変わっていないですけど、技術的な部分に対しては変わらざるを得ないので、変化していると思います。

――現在は青木祐奈選手(神奈川FSC)を指導していらっしゃいます。

 まだ青木を指導している期間は短いですが、今も羽生を育てた経験が彼女に生きる形になっています。指導を継続できる自信、燃えるものを羽生が作ってくれました。そして青木だけではなく、たくさんの子供たちがスケートを好きになって、夢を持つ素晴らしい人間が誕生する環境を作りたいなと思っています。

都築コーチ(右)は現在、13歳の青木祐奈(中央)も指導している 【写真:アフロスポーツ】

――指導者として今も昔も変わらず大切にされていることは何ですか?

 変わらないのは、フィギュアスケートが好きであることと、情熱を持っているということですね。佐野に出会ったとき、羽生に出会ったとき、そして青木に出会ったときもほとんど同じです。進化していないですね(笑)。選手をうまくしたい、何とかしたいという気持ちだけは何十年前から全然変わらないです。時代、社会、取り巻く背景、技術も変わったんですけど、フィギュアスケートに対して良いものを作ろう、本物を作ろうという気持ちだけは今も昔もずっと持ち続けています。

――現在の目標を教えてください。

 フィギュアスケートはまだまだ日本では文化になっていないので、文化にして皆さんに楽しんでいただきたいと思います。フィギュアスケートを通してたくさんの子供たちが出会い、このスポーツを将来もっと発展させてくれる子供たちを作り、出会いをを大切にしながら継続していきたいなと思っています。

(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)

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