照ノ富士、大関への道にあった“転機” 逸ノ城が差を縮められるのは今だけ

荒井太郎

入門直後はつまずくも部屋の移籍が転機に

西の小結で迎えた今場所は8勝7敗で辛くも三役の地位を守った逸ノ城。今後の出世のためにはやはり、厳しい稽古が必要になる 【写真は共同】

 当時から将来の大器であることは誰の目から見ても明らかだったが、同校を中退し平成23年5月技量審査場所で初土俵を踏み、翌7月場所の“序ノ口デビュー”戦は格下相手に勇み足で黒星。優勝候補の1人だったが出だしのつまずきが影響したのか、この場所は5勝2敗の平凡な成績に終わる。

 14場所を要して関取に昇進するも幕下までは各段優勝はなく、この間、所属する間垣部屋が閉鎖となり、現在の伊勢ヶ濱部屋に移籍。新たに師匠となる伊勢ヶ濱親方(元横綱旭富士)は「相撲が全然なってなかった。基本をきちんとやれば関取になれる」と当時を語り、周囲の期待とは裏腹にこの時点では大成するという確証は持っていなかった。

 実際に頭角を現すのは新十両優勝を飾った25年9月場所あたりから。当初は左四つだったが稽古を積み重ねるうちに右四つの型がしっくりくるようになった。十両を3場所で通過し、入幕後、大関昇進までで負け越したのは、前頭筆頭で6勝に終わった昨年9月場所だけだ。

2歳下、逸ノ城が差をつけられた理由

 一方、照ノ富士と同じ飛行機でモンゴルから来日した2歳下の逸ノ城こと、アルタンホヤグ・イチンノロブも鳥取城北高の全国2連覇に貢献。スケールの大きさはガンエルデネ以上との評価で、高校時代の実績もはるかに上回っていた。高校横綱の大本命だったがタイトル獲得はならず、卒業後に実業団横綱に輝き、幕下15枚目格付け出しで26年1月場所に初土俵。同年9月場所は41年ぶりの新入幕金星を獲得するなど、1横綱2大関を撃破して13勝で鮮烈な“幕内デビュー”を飾った。
 さらに翌11月場所は新三役の関脇で勝ち越し。照ノ富士に先んじてすぐにも大関と思われたが、勢いもそこまで。初の負け越しとなった今年1月場所は「自分の相撲を研究されている。動きも悪い。もっとやせないと駄目ですね」と増え続ける体重(現在は207キロ)も今後の大きな課題だ。

 いずれ角界の屋台骨を支えるであろう2人の逸材にこれだけ差がついたのは、「稽古量の差」というのは周囲の一致した見方だ。

 大関ともなれば師匠も稽古は自主性に任せるケースが少なくないが、伊勢ケ濱親方は「(指導は)もっと厳しくなるでしょうね」と手綱を緩める気は毛頭ない。「まだ覚えなければならないことがたくさんある」とまな弟子が大関の座を射止めたにもかかわらず、元横綱には相撲ぶりが物足りなく映っている。

「焦ることはない。マイペースでいけばいい」という湊親方(元幕内湊富士)の方針のもと、稽古に励む逸ノ城。20代前半までは稽古の量が質を凌駕するとも、角界ではよく言われていることだが、死に物狂いで相撲に打ち込める時期は、実はそう長くはない。200キロを超す大きな体には、新大関以上の素質の多くがまだ眠ったまま、詰まっている。両者の差を縮めるには今しかない。

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著者プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供多数。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』『大相撲あるある』など。『大相撲八百長批判を嗤う』では著者の玉木正之氏と対談。雑誌『相撲ファン』で監修を務める。

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