スティーブン・ジェラードの旅立ち 笑顔なきラストゲームに感じた“らしさ”
完敗に終わったリバプール最終戦
ジェラード(中央)のリバプールでのラストゲームとなるストーク・シティ戦は、誰も予想しなかったスコアでの完敗に終わった 【写真:ロイター/アフロ】
1−6。ブリタニア・スタジアムでの最終節ストーク・シティ戦は、誰も予想しなかったスコアでの完敗だった。ジェラードがプレーした試合で、リバプールが6失点を喫して敗れたのはこれが初めてのことである。1998年11月29日のブラックバーン戦でプロデビューを果たしてから16年と177日。リバプールにおけるジェラードのキャリアは、不名誉な記録とともにその幕を閉じた。
前半だけで5失点を喫した後、後半に一矢を報いたのはキャプテンの公式戦186ゴール目だった。くしくも、この最終節の翌日は「イスタンブールの奇跡」(編注:チャンピオンズリーグ2004−05の決勝でミランを相手に大逆転で優勝を決めた)からちょうど10周年の記念日だったが、ミラン相手に3点ビハインドから追いついた10年前のあの日のように、今回は彼のゴールがスタジアムの空気を変えることも、チームを救うこともなかった。
少し時計の針を戻せば、4月のFAカップ準決勝アストンビラ戦(1−2)でも、1点ビハインドで迎えた86分にジェラードが放ったヘディングシュートは、無情にもゴールライン上でクリアされている。彼の誕生日(5月30日)に行われるファイナルを、英雄のラストマッチに――。コップ(リバプールファンの愛称)たちが夢見た理想のフィナーレは、空しくも泡と消えたのだ。
奇跡はそう簡単に起こらない。そんな現実をことごとく突きつけられる形となったラストシーズンの終盤戦だったが、逆に言えば、「イスタンブールの奇跡」や、彼が起死回生の同点弾を叩きこんだ06年FAカップ決勝のウェストハム戦、通称「ジェラード・ファイナル」(編注:ウェストハムに3度先行を許すも、後半終了間際にジェラードのミドルシュートで同点とし、PK戦の末、優勝を果たした)が、どれほど価値あるものだったのかが身に染みて分かる。
世界中から寄せられる惜別のメッセージ
リバプールでの彼のキャリアは、本人も認める通り「山あり谷あり」だった。数々の栄光の影には、何度もけがに苦しんだ経験や、23歳でキャプテンを任された喜びの裏で感じた重圧、頭痛薬を服用するほど悩み抜いたチェルシー移籍騒動など、さまざまな苦悩があった。そして、一番欲しかったプレミアリーグのタイトルにはいつもあと一歩で手が届かなかった。それに最も近づいた昨季、4月のチェルシー戦(0−2)でまさかの「スリップ」が彼を地獄に突き落としたことも記憶に新しい。そんな彼だからこそ、物憂げな表情もまた象徴的なのである。
それでも、次期キャプテン候補のジョーダン・ヘンダーソンが「スティーヴィー(ジェラード)から学んだことは、失望から立ち直る方法。それが何よりすごい部分だ」と話すように、ジェラードはどんな試練を与えられても決して諦めず、立ち上がろうとしてきた。そして、失敗や不運にいら立つ姿と、それを乗り越えようともがき苦しむ“人間くさい”部分にこそ、ファンは魅力を感じてきたのだ。
退団を目前に控えたこの数週間、去り行く英雄に対しては世界中のスターから惜別メッセージが寄せられた。その中で「完璧なMF」というプレーヤーとしての評価と同じくらい多くが口をそろえたのは、リバプールで生まれ育ち、愛するクラブをリードし続けてきた彼の一途なパーソナリティーを称える言葉だった。
「もの静かだが、言葉にできないような強さで全てのチームメートを奮起させるところはフランコ・バレージに似ている。口で伝えるよりも、行動で示すんだ」とは、ミランで彼と同じ“ワンクラブマン”だったパオロ・マルディーニの言葉である。
また、ともにプレーすることを願ってやまなかったというジネディーヌ・ジダンは、「地に足がついていて、試合以外では必要なことしか喋らない。でも、ボールを持つと好戦的で、違いを生み出す。“ピッチで喋る”ことを好んだ男だ」と印象を語っている。
そして、最後の日までドレッシングルームを共有してきたフィリペ・コウチーニョは、キャプテンの存在感についてこう証言している。
「リバプール史上最も偉大なプレーヤーなのに、控えめで真面目。最年少の若手から最年長のベテランまで、誰とでも同じように接して仲良くするんだ」