オランダで戦う日本人フィジオセラピスト コンディショニング道を極める中田貴央

中田徹

監督に直談判してデン・ボスへ加入

中田はカイザー監督に直談判してデン・ボス加入のチャンスをつかんだ 【中田徹】

 14年5月、「あわよくばチームに滑り込めたら」という淡い思いを持ちながら、彼はデン・ボスのU−14の試合を見に行った。スタジアムのビジネスラウンジをのぞくと、トップチームの選手が食事をしていたので、ひげを生やした年配の男に「ちょっといいですか。僕はサッカーに特化したフィジオセラピストになりたいんです」と声をかけたら、「お前、それは面白いな」と興味を持ってくれた。それが当時のトップチーム監督、ルード・カイザーだった。

 カイザーは監督室まで中田を連れて行き、デン・ボスのフィジオセラピストの電話番号を渡してくれた。

「そこに電話してみろ。彼はうちのチーフ・フィジオで、日本でも13年間やっていたんだ」

 こうしてジュビロ磐田、名古屋グランパス、セレッソ大阪でフィジオを務めたことのあるマルコ・ファン・デル・ステーンとの縁が始まった。

「マルコは、日本人に対しとてもポジティブな印象を持っている。Jでやっていた方々は、ものすごく勉強熱心でいろいろなことをディスカッションした。その経験があったので、僕と初めて話をしたとき、すぐ『お前、うちに来い』と言ってくれた」

 こうして中田は今季からデン・ボスのメディカルスタッフの一員となった。配属先はトップチーム。いきなりオランダ2部リーグに所属するプロの体のケアをすることになったのだ。大学時代に学んだこと、横浜市スポーツ医科学センターで実習した経験、マルコのやり方から学んだことをフルに動員して、中田は必死になって仕事をした。

「マルコは、去年からいた2人の若いフィジオに不満を持っていた。彼らはサッカーをやった経験があるから、サッカークラブで仕事ができたらうれしいけれど、別にトップクラブに行きたいという欲があるわけでもなく、積極的でなかった。しかし、僕にはサッカーに特化したフィジオセラピストになるという意欲があった。だから、マルコは面白いと思ってくれたのかもしれない」

職人を思わせる繊細な仕事ぶり

 マルコの治療方法は、筋肉の患部にグッと親指が入っていき、関節の角度を変えながら急所をほぐしたり、振動させたりする。患者にとってはかなり強度の高いものだ。

「僕の治療強度と、マルコのやっている治療強度は違うんです。彼の方が深く入っていく。 押しているところの感覚が彼はちょっと違う。彼が治療した後の、選手の筋肉を触ってみた。するとピーンとなっていた筋肉の硬い繊維がほとんどなくなっているんです。それが手で触ると分かる。でも、ほとんどのフィジオセラピストは押していることに満足し、患者さんも押されていることに満足している場合が多いと思う」

 話を聞いていて、刺身が頭の中をよぎった。切ることなら誰でもできる。しかし、一流の職人が手の体温を伝えず、筋を見ながら繊細に切っていく刺身と、スーパーで安売りされている刺身は明らかに違う。中田の指もまた、選手たちの患部へ繊細に、そして強く、角度を変えて入っていく。

「そして“これ”ですよね」と中田が言って、関節の曲がった左手親指と、ぷっくりと盛り上がった手のひらを見せた。「これがわれわれにとっての包丁。道具も大事なんです。マルコの強度の高い治療をまねしていくうちに、手のひらに筋肉がついて膨れ上がってしまった」

 マルコは自分の診療所を持っていることもあって忙しいため、中田がデン・ボスのトップチームにおける、リハビリのための別メニュートレーニングをほぼ全て見ている。

「MFはターンが多いポジション。DFだったら、僕と選手の間にひもをつけて、僕が動いたらリアクションを取らせるメニューもある。FWだったら、小さいゴールにシュートを蹴らせる――というふうにポジションによって、サッカーの質が向上するようにトレーニングを変えている。この前、監督に『お前はどんどんおかしなことになって、とうとうサッカーのトレーニングまでやりだしたな』といじられた。そこは僕としても難しいと思うところ。僕はコーチではないので、選手にサッカーのトレーニングをさせているわけではない。シュートを向上させるために練習するのはコーチの仕事。しかし、チームトレーニングに合流させるまでに、シュートを100%の強度で打てるようにするためのメニューは、リハビリのトレーニング。こうした要素を入れていけばいくほど、サッカーのトレーニングに近づいていってしまう。サッカーのトレーニングと、リハビリの線引きを自分の中でしっかりしないといけない」

中田「トップを目指したい」

 リハビリを終わらせるのが1日早かったため、その選手を再び負傷させた失敗もあった。シーズン前半戦は、マルコのセカンドオピニオンを求める声も多かった。しかし、今は選手、監督の信頼が厚くなったことを実感している。

「フィジオセラピストとしてチームの中で機能するようになった。違和感を持っている選手をしっかり治し、試合に出られるのか、出られないのか判断すること。それを選手と監督がしっかり納得できるようにマネジメントすること。チーム練習の負荷を鑑みながら負傷した選手の別メニューを組み、スムーズにチームに合流させること。まだ改善の余地はあるが、その3つがある程度、自分の中でできるようになった。それがチームからも認められるようになり、社長、監督、コーチから『来季も残ってくれ』と言われているが、いかんせん給料が低い(苦笑)。でも最低でもあと2、3年はオランダ2部リーグでやらないといけない。この年齢で、オランダ2部リーグのトップチームのフィジオセラピストをやらせてもらえるなんて、ものすごい経験です。他のオランダ人フィジオセラピストの一歩先、二歩先を行って、トップを目指したい」

 VVVに大敗したデン・ボスの順位は12位(30節終了時点)。来季の1部昇格の夢はついえた。意気消沈するバスの中で、レネ・ファン・エック監督はげきを飛ばした。

「お前ら、来季の昇格がなくなってガッカリしているかもしれないが、俺たちデン・ボスはまだあるんだ」

 その時、中田の頭の中に各カテゴリーのチームが浮かび、「トップチームはクラブを背負っているんだ」と鳥肌が立った。高いレベルへ行けば行くほど、そのヒリヒリする思いも高まる。

 もっと上に行きたいと中田は誓った。

中田貴央(なかだたかひろ)

 12年3月に昭和大学保健医療学部理学療法学科を卒業後、「サッカーに特化したフィジオセラピスト(理学療法士)」になるためにヤマハ発動機スポーツ振興財団の奨学金を得て渡蘭。14−15シーズンよりオランダ2部リーグ、デン・ボスのフィジオセラピストを務める。

【お詫び】掲載からしばらくの間、中田貴央さんの名前を誤って中田貴大さんと記載しておりました。ご本人、関係者の皆様、読者の方々に謹んでお詫び申し上げます。今後2度とこのようなことがないように編集部一同努めてまいります。大変申し訳ございませんでした。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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