上村愛子、冷めることないモーグル愛 ソチ五輪から1年経った今を語る

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5度目の五輪出場となったソチから1年。上村愛子は今、何を思うのか? 【スポーツナビ】

 2014年2月8日(現地時間)、ソチで5度目の五輪を戦い終えた上村愛子の表情がとても印象的だった。自身が「五輪史上最高」と言い表した決勝での滑りは、20.66ポイントで4位。悲願だったメダルにあと一歩のところまで迫ったが、最後の階段を上ることはできなかった。それでも記者の前に現れた上村は、落胆する雰囲気も見せず「本当にすがすがしいです」と最高の『愛子スマイル』を見せ、これが最後と決めていた五輪に別れを告げた。

 1992年のアルベールビル五輪から始まったフリースタイルスキー女子モーグルにおいて、上村は98年長野五輪から5大会連続出場。長く第一人者として、「女子モーグル=上村愛子」と表せるような存在として活躍してきた。五輪では長野の7位に始まり、02年ソルトレイクシティで6位、06年トリノで5位、10年バンクーバーで4位と、ひとつずつ順位を上げた。しかし優勝候補の一角として臨んだバンクーバーではメダルに届かず「何でこんなに一段一段なんだろう」という言葉とともに涙を流した。

 09−10シーズンを終えた後、いったん競技から離れ長期休養に入った。引退さえも囁かれていたが、翌11年に復帰を宣言すると、ソチ五輪を目指すと発表した。12−13シーズンのワールドカップではデュアルモーグル(12年12月、フィンランド・ルカ)、モーグル(13年2月、ロシア・ソチ)でともに3位に入り、世界のトップと戦えることを示す。

 そしてソチ本番、開会式前に行われた6日の予選では7位。決勝では20人による1本目を9位、12人による2本目を6位で通過すると、スーパーファイナルとなる3本目では4位となり、メダルには届かなかったものの、5大会連続の入賞を決めた。

 悔しい思い、苦しい思いも経験したという五輪の舞台。それでも「本当に楽しい場所でした」と表現した五輪について、ソチから1年経った今、振り返ってもらった。

ソチ出場で競技をまっとうできた

最後の五輪は4位という結果ながら、笑顔を見せた上村 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

――ソチ五輪から1年が経ちます。現在の心境はいかがですか?

 当たり前のことですが、引退(昨年4月1日に発表)は自分の人生で初めてのことなので、寂しくなるのかなといろいろ考えていました。ただ、ソチまでやれたことによって現役時代の自分が競技をまっとうできたという気持ちが大きいです。その気持ちは今もまったく変わりません。

――ソチでは4位という結果でしたが、競技後のインタビューの時、非常にすがすがしい表情で受け答えする姿が印象的でした。やはりその時も、結果より充実感が上回っていましたか?

 この時のことを伝えるのはすごく難しいのですが、結局は、結果を求められてしまうところで自分は戦っていました。だから1番は金メダルを取ること、金、銀、銅と順位がちゃんとつく競技なので、金メダルを取ってすがすがしいっていうのが1番分かりやすいですよね。それが分かりやすいし、説明しなくても満足なんだろうなって思えるけど、私は今回メダリストになれなかったのに、本当にスッキリしていて(笑)。それはバンクーバーまでにはなかったことなんです。

 バンクーバーの時はメダルが近かったのに取れなかったという結果ももちろんなんですけど、やり残した感じがどこかにありました。準備段階で満足いくものができなかったというか、いつも「まだ何か足りなかったかな」「もう少しこうすればよかったかな」って思うことが多くて。ただ、ソチに関しては、バンクーバーと同じ4位なのに、「もうこれ以上の準備できなかったもん」って。それくらいやれたんでしょうね(笑)。

――準備段階から、やり残したことがなかったということですか?

 トレーニングももちろんですけど、周りの人との理解の仕方とか、みんなで同じ方向を向いて、同じものを作り上げて結果を残すことができました。
 チームとしてはみんなでメダルを取るために取り組んでいるんですけど、みんなで力を合わせてというよりは、私が4回も(五輪に)チャレンジしていたので、「もう愛子の思う方向にやらせてあげたい」っていうのをみんなが思ってくれていて、それがありがたかったです。

 選手が思うような準備がしっかりできて、いい滑りをして、世界で戦えるレベルであれば、その先にメダルがあるっていうことを若いころからずっと思っていて、それを本当に実感できたのが、本当にソチが初めてでした。それまでは自分自身を含め、力が入り過ぎちゃっていたかもしれません。

 ただソチでは、本当に強い後輩も出てきてくれました。私だけじゃなくて、いろいろな選手が世界で戦えるようになってきたので、そのおかげで、自分だけが頑張らないとというのがなくなっていました。その点もソチまでやってよかったなと思うところですね。

本番への逆算ができた

10年のバンクーバー五輪では「何でこんなに一段一段なんだろう」という言葉を残し、4位に終わった 【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

――10年のバンクーバー五輪後には、長期休養という形で1年間、競技から離れていました。その時は、どんな思いで過ごされていたのですか?

 休養している時は、シーズン序盤の試合を見ていませんでした。(試合を見ると)頭の中がまた競技者の脳に変わってしまい、せっかくお休みの時間を過ごしているのに違うなと思ったので。
 ただ、休養中にたくさんの人に出会い、その時は震災(東日本大震災)もあったりしましたが、私が休養していることを知らない方もたくさんいらっしゃいました。でも「また頑張ってね」とか、「(五輪を)見ていたよ」とか、自分から名乗らなくても、モーグルの上村愛子を見て下さっている多くの方の存在を実感する1年でもありました。

 周りからはすごく有名だと言っていただくのですが、その頃の私はあまり実感がなかったので、ほかの選手と比べるということもしなかったですし、ワールドカップで戦って五輪に出たらこういうものなのかなって、自分の立場を考えていました。

 ですが、休養した時に、自分のことを知ってくれている人が世の中にこんなに多いと実感でき、そこでちょっと背中を押されたのもありますし、自分が胸を張って人前でできることは、やっぱりモーグルだなってその時に感じました。

 休養している中でも、所属先の会社は応援してくれ、自分自身どこまでいけるか分かりませんでしたが、チャレンジできる体と環境はありました。そこで春頃に、またチャレンジしてみようと。それまではモーグルが大好きだからやっていたんだという気持ちが、少し薄れてしまっていた時期だったのかなと思います。

――1年間の休養が自分を見つめ直す時間になったのですね。実際、上村さんは5度の五輪を経験していますが、五輪から五輪までの4年間というのは長く感じるものでしたか?

 長く感じた時期もありますし、短いと感じた時期もあります。

――長いと感じたのは、最初の頃ですか?

 そうですね。後半はちょうどいいなと思いました(笑)。

――回数を重ねることで、4年という時間に慣れてきたのでしょうか?

 そうですね。若い時は1年ごとにペースを上げるやり方が分からなかったので、「今の調子がいい状態のまま五輪で戦いたい」とか、そういうことを考えることもありました。その時は自分が五輪の時に調子が良いか悪いか分からないので。そんな気持ちがソルトレイク、トリノの時まで頭の中にありました。どうなるか分からないから4年って長いなって思う時期もあって。

 ただトリノが終わってからは、もう3回もチャレンジしていて、うまくいかないことも、うまくいくこともあることを知って、大人になればなるほど目標に対して逆算するじゃないですか。そういうことをやり始めたのがトリノの後ですね。若い時も逆算しろって言われていたけど、それでもうまくいくか分からないって気持ちがすごくあって、なんか大人の話を信じられないやんちゃな子だったんですね(笑)。

 でも26歳くらいから、やっぱり4年に1回の本番で調子を合わせたいと思って、そうすると、1年ごとにペースが変わっていくことを自分の中で理解したり、悪い時の持ち上げ方も分かるようになったり。それにどのくらいの期間がかかるかも分かるようになってからは、「4年はちょうどいいな」と、何かを変えるにしても間に合う時間かなと思うようになりました。

――過去の経験があったからこそ、逆算ができるようになったのですね?

 バンクーバーからソチへの4年間はそうだと思います。1年休養していますけど、本当に4年間を思うように進められたという実感がありますね。

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