美宇・美誠の才能はどう育まれたのか? コーチとして2人を育てた母の告白

高樹ミナ

初めから世界一を目指した伊藤親子

初めてラケットを握ったときから「世界」を目指していた美誠ちゃん 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

「私はスパルタですよ」。そう臆することなく言い切る伊藤(以下、美誠ちゃん)の母・美乃りさんは、愛娘がラケットを握ったそのときから世界一を目指していたという。なんと3歳になる前のことだ。美誠ちゃんが卓球を始めたのは、大好きなママがやっている卓球を一緒にやりたかったから。動機は美宇ちゃんとよく似ている。

「美誠にミルクをあげながらCS放送の卓球番組をよく見ていて、『あのサーブ、美誠ならどう打ち返す?』などと話しかけていました。そのうち美誠も映像が分かるようになって、3歳のころには世界のトップ選手のプレーをほとんど見ていました。だから、どうせやるなら世界一を目指そう。強い中国を倒せる選手になろうと早々に目標を定めたんです」

 高い志を持つ美乃りさんは、美誠ちゃんが4歳になるまでに卓球の基本技術をひととおり身につけさせ、それをベースに着々とスキルアップを図ってきた。幼稚園児のときから練習時間は一日トータルで6〜7時間。さすがにまだ幼く、途中でママが恋しくなって集中力を欠いたというが、コーチに徹する母はそれを許さなかった。「鬼でしたよね……」とつぶやく美乃りさん。「私だって、わが子を抱きしめたかったけれど、あの子は根性でついてきたし、ぶつかってきた。お互い歯を食いしばって厳しい訓練に耐えた、長い長い日々でした」と振り返る。

子どもの夢に全てをささげた母

 1つの技術に納得できないと、深夜にまで及んだという伊藤親子の訓練。そこまでする必要があるのかと、美乃りさん自身迷うこともあったそうだが、他の子たちはもっとやっているかもしれない。中国の子どもたちはどうだろうかと考えると、気持ちはたちまち奮い立った。美誠ちゃん自身も納得のいくまでラケットを離さなかったという。そんなわが子の頑張りを見て、「自分は間違っていない。大丈夫、自信を持って」と当時の練習ノートに書き留めたり、あるときは美誠ちゃんから「ママとの卓球は楽しいよ」と2人で卓球をしている絵入りの手紙をもらい励まされたこともあったそうだ。

 そんな美乃りさんのもとには、「うちの子を個人的に指導してほしい」という父兄の依頼が舞い込むことがある。しかし、「ごめんなさい、お子さんの命の保証ができないもので、とお断りするんです」と美乃りさんは笑う。自分の指導が通用したのは美誠ちゃんの天性の負けん気と、わが子だから分かる限界を見極めることができたからだと。

 美誠ちゃんは現在も親元で暮らし、大阪・昇陽中学校に通いながら、エリート選手を養成する関西卓球アカデミーで日々の練習を積んでいる。

世界を目指すために必要なこと

卓球では小さな頃から親子二人三脚で成長してくる選手も少なくない 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 才能ある若い選手が次々に現れる卓球界。平野・伊藤親子のほかにも、幼い時分から親がコーチとなり二人三脚で特訓を積むケースが多い。そしてそれは大きなアドバンテージとなる。ボールコントロールが繊細なスポーツなだけに、ボールを触っている時間の長さが競技力につながる競技性ゆえだ。膨大な練習を積んできた美宇ちゃん、美誠ちゃんの母たちも「普通とは違う、異常な親子です」と自嘲気味に話すが、本気で世界を目指すのならば、親にも子にも執念とも呼べる大きな覚悟が必要ということだろう。

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著者プロフィール

スポーツライター。千葉県出身。 アナウンサーからライターに転身。競馬、F1、プロ野球を経て、00年シドニー、04年アテネ、08年北京、10年バンクーバー冬季、16年リオ大会を取材。「16年東京五輪・パラリンピック招致委員会」在籍の経験も生かし、五輪・パラリンピックの意義と魅力を伝える。五輪競技は主に卓球、パラ競技は車いすテニス、陸上(主に義足種目)、トライアスロン等をカバー。執筆活動のほかTV、ラジオ、講演、シンポジウム等にも出演する。最新刊『転んでも、大丈夫』(臼井二美男著/ポプラ社)監修他。

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