吉田義男が欧州野球にもたらした変化「フランス野球も盛り上がってきている」

侍ジャパン公式

フランス代表監督就任当初は「チームプレーという意識は希薄だった」と吉田氏。そのチームがいまや日本の社会人王者に勝つまで力をつけてきた 【(C)SAMURAI JAPAN】

 1985年に阪神監督として球団史上唯一の日本一を達成した吉田義男氏。「ムッシュ」の愛称で、多くの野球ファンから愛されているが、その由来は阪神監督退任後に、フランス代表監督を務めたことから来ている。

 就任当初は「草野球の集まりみたい」だったというフランス代表だったが、吉田氏の指導もあって、昨秋には都市対抗王者の西濃運輸を破るまで成長。ヨーロッパ野球が着実に力をつけてきている中、今回、3月に野球日本代表「侍ジャパン」が欧州代表と強化試合を行うことになった。現在は国際野球連盟(IBAF)の五輪復帰委員も務めている吉田氏はいま、一段と進む野球のグローバル化、そのために必要なことについて、何を思っているのだろうか。

就任当初は「草野球の集まりみたいだった」

――吉田さんは1989年〜95年にフランス代表チームの監督を務めていらっしゃいましたが、就任の経緯を教えてください。

 85年から3年間、阪神の監督をやったあと、88年にフランスにいた知り合いから「フランスも野球をやっているから、遊びがてら一度来ないか」と誘われましてね。最初はぶらっと行って、野球をやっているところを見て帰ってきたんです。その翌年、今度はパリで一番強いピックというクラブチームを指導しながら、代表チームの手伝いをしました。当時は米国人の監督だったのですが、その人が帰国したというので、私に監督をやってくれとなったわけです。

――フランスの連盟から、何年で強くしてくれといった要望はあったのでしょうか?

 ちょうど、92年のバルセロナ五輪から野球が正式種目になるということが決まった頃でしたのでね。バルセロナは無理でも、96年のアトランタ五輪で何とかヨーロッパ代表として出ようというのが大きな目標でした。結果的には行けませんでしたけども。

――監督就任当初のフランスのレベルはどの程度でしたか?

 皆、好きでやっているだけでしたからね。(送り)バントのサインを出すと、「なぜ、オレが犠牲にならないといけないんだ」とか、グラウンドが悪くてイレギュラーすると、「オレのせいじゃない」と捕りに行かないとかね。遠くへ打ちたい、良い球を投げたいという本能はあるんでしょうけど、チームプレーという意識は希薄でした。集合時間もバラバラで、草野球の集まりみたいなものでしたから、1つにまとめるのに非常に苦労しましたね。

負けてばかりだった監督時代のフランス

――それでも、吉田さんが監督をされた7年間にレベルはグンと上がったのでは?

 日本野球連盟会長やIBAF副会長をされた山本英一郎さんが、ものすごく協力してくださいました。国際大会にフランスを何度も参加させてくれましてね。国際試合を体験することによって、強いチームでもバントをするんだと分かったり、連係プレーやバックアップはこうするんだということを目で覚えていきました。日に日に力をつけていきましたね。

――代表監督時代には30カ国以上と対戦されたと聞いています。

 あっちこっち行きましたね。強いチームとばかりやりますから、負けてばっかりでしたけど(苦笑)。山に例えるなら、5合目か6合目まではスッと行ったんです。でも、そこからが大変でした。体力もありますし、経験を積んである程度は力をつけましたが、私がやっている間にイタリアとオランダの壁は破れませんでしたね。

――とはいえ、吉田さんの貢献度はかなり高いと思います。2011年にはフランス野球ソフトボール連盟の名誉会員になられましたし、昨年9月にフランス主催で行われた国際大会には「吉田チャレンジ」という冠が付きました。

 おこがましいからと断ったんですけどね、国際試合ですし。でも、四半世紀の交流で、日本とフランスの野球界が非常に親密になったのは事実です。今は五輪の正式種目に復帰できるかどうかという大事な時ですが、フランスもようやく貢献といいますか、そのための事業の一環として大会を開催したわけです。オランダとベルギー、日本からも(昨夏の)都市対抗で優勝した西濃運輸が参加してくれました。1週間ほどでしたけど、盛り上がりましたよ。それが東京五輪での野球復活につながればいいなと思いますね。IBAFも多少は評価してくれたんじゃないですか。フランスの野球もだんだん盛り上がってはきているんです。これまでマイナーなカナダ人が監督だったんですが、今はエリック・ガニエ(元ドジャースなど)という、リリーフ投手としてサイ・ヤング賞(03年)も取った選手が監督になったのでね。それも1つの大きな目玉ですよ。

野球の世界普及へ、必要な国際人材

野球の世界普及には米国と日本が手を組む必要があると、吉田氏は説く 【(C)SAMURAI JAPAN】

――フランスに限らず、ヨーロッパ全体で野球が盛り上がってほしいものです。

 IOC(国際オリンピック委員会)の委員はヨーロッパの人が多いですからね。野球の普及に必要なのは五輪だけじゃないと思いますけども、復活すれば絶対に子どもの夢になりますから。

――野球を世界に普及させるには何が必要だとお考えですか?

 やはり米国と日本が手を組んで、「野球を世界に広める」という大きな目的の下、一緒にやっていくことじゃないでしょうか。そういう意味では、日本に大リーグといろいろ折衝できる国際人が欲しいところですね。そして、続けることです。指導という人的なことだけじゃなく、用具提供など両面のバックアップが大きな要素になってくると思います。サッカーはボール1つでできますが、野球は用具が必要ですからね。

――3月には侍ジャパンがヨーロッパ代表と試合をします。

 画期的なことですよね。ヨーロッパのIOC委員へのアピールにもなるんじゃないですか。

――日本のファンはどういった視点で試合を見れば楽しめるでしょうか?

 パワーはありますよ。技術は落ちると思うんですけど、とにかくいい試合をしてくれることを願っています。
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