超スピード時代を迎えた箱根駅伝 1区、2区の争いはさらにし烈に

折山淑美

2区は4校エースの意地の張り合い

2区では服部勇馬(東洋大、左)と村山謙太(駒澤大)がエースの意地をかけて激突 【写真:アフロスポーツ】

 その争いは2区をも白熱させた。前回の東洋大はエースの設楽兄弟を2区に起用せず、啓太(現・コニカミノルタ)を5区に、悠太(現・Honda)は3区に配置した。だが今年は大黒柱になった服部勇馬(3年)を酒井俊幸監督は、「学生界のエースになってほしい」という思いも込めて起用。駒澤大は当然のように学生ナンバー1ランナーの村山を使い、明治大は全日本8区区間賞の大黒柱・大六野秀畝(4年)、青山学院大は関東インカレ2部ハーフマラソン2位の一色をぶつけた。

 その4校のエースの意地の張り合いは見応えのあるものだった。先頭でたすきを受けた村山は一気に飛び出して青山学院大との差を広げたが、一色は動揺しなかった。「大学へ入ってからは最初に突っ込む走りが多かったが、神野さんから『2区はラスト3キロで30秒はひっくり返せるから』と言われて抑えて入った」とマイペースで勝負。それに大六野も追いつき、二人で前を追った。
 それに対して服部は積極的に突っ込んだ。村山と並んでの勝負を意識したからだ。最初の5キロは村山が14分20秒で入ったのに対し、服部は14分10秒。5キロすぎで完全に追いついた。
 その勢いに警戒心が出た村山は若干抑え気味の走りになってけん制をした。そのために並走してからの5キロは14分30秒台に落ち、10キロ以降は15分近くにまでなった。

激しい競り合いが選手を成長させる

城西大の村山紘太は2区で区間トップの東洋大・服部に続く区間2位で走り切った 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 そんなけん制の仕合いで漁夫の利を得たのは後続の2人だった。8.3キロの横浜駅前では11秒までに広がっていた差を、15.3キロの権太坂では6秒にしていたのだ。
 先頭2人のトップ争いは、権太坂を過ぎてからの下りで村山が仕掛けて動いた。だが服部はそれを折り込み済み。じっくり追いかけて18キロすぎで追いつくと、19キロを過ぎてからスパート。そんな競り合いに、一色も大六野を振り切って追い上げながら割り込み、3区への中継点では服部に2秒差で村山と同時にたすきを渡した。さらに大六野もトップの東洋大とは17秒差と見事な粘りを見せた。

 その後ろでは16位でたすきを受けた城西大の村山紘太(4年)が順位を8位に上げる好走を見せていたが、前の4人はレース前に口にしていた目標タイムからは30秒から1分は遅いものだった。だがそれはかつてのように、単独走状態になって純粋に走力だけのタイム争いが繰り広げられていた2区の時代とは違い、優勝候補のエース同士がガチンコでぶつかり合ってけん制や揺さぶり合いをしての結果だ。その意味ではレースらしいレースであり、選手たちもハイレベルな争いの中でレース感を養える貴重な経験になるものだといえる。

 これも1区重視の傾向になり、上位校が秒差の争いで2区にたすきを渡すようになったからだ。そんな激しい競り合いがあってこそ、選手たちの競技者としての成長も急激に促されるものだろう。
 1区から絶対に外すことができないようなスピード時代を迎えた箱根駅伝は、また新たな期待感を観ている側に伝えてくれるものになってきた。

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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