『ロナウド依存』が生んだチームの欠陥 ポルトガルの慢性的な決定力不足は未解決

市之瀬敦

苦い記憶があった米国戦

試合終了間際にバレラ(右)がゴールを決め同点に持ち込んだポルトガル。しかし、FWの決定力不足は解決できずにいる 【写真:ロイター/アフロ】

 昨年12月6日、ブラジルのサルバドルで行われたワールドカップ(W杯)ブラジル大会の組み合わせ抽選会でポルトガルが米国と同じグループに入ったと知ったとき、苦い記憶を呼び起こされたポルトガル人は少なくなかった。

 12年前の2002年。日韓共催のW杯で優勝候補の一角だったポルトガルは初戦で米国と対戦し、2−3でいきなり手痛い敗北を喫した。前半36分ですでに0−3という一方的なスコア。その後、反撃を試みて2ゴールを挙げたが、逆転はおろか引き分けることさえできなかった。

 1989年のU−20W杯で生まれた「黄金世代」の終えんが告げられた試合だったとも言えるだろう。

 後から振り返ると、日韓大会のポルトガルは米国サッカーを完全になめ切っており、監督もコーチも選手たちも、米国人選手それぞれの特徴など、対戦相手の情報を事前に何も入手していなかったという。W杯には試合前からの勝者などいない、ということを教え込まれたゲームであった。

ポルトガルと米国の不思議な因縁

 ポルトガルと米国の不思議な因縁といえば、ブラジルが初めてW杯を地元に迎えた1950年大会に触れたくなる。米国がイングランドを1−0で下し、W杯史上最大の番狂わせのひとつと言われる試合があった大会だ。

 ポルトガルは参加していなかったが、実はポルトガル人選手は出場していた。しかも2名、米国代表選手として。どちらも大西洋のアゾレス諸島から米国への移民となったポルトガル人の息子。名前はジョン・ソーザとエド・ソーザといった。特にジョンの方は大会ベストイレブンに選ばれるくらいの活躍を見せたのであった。

 さて、この両国がW杯で顔を合わせるのは今回が2度目。親善試合を含めれば6度目の対決となるのだが、過去の通算成績は2勝1分2敗と、きれいに星を分け合っている。引き分けを除けばどの試合も1点差の接戦であり、ポルトガルにとってやりにくい相手であることは過去のデータからも明らかであった。

そしてエデルだけが残った

 前置きはこれくらいにして、高温多湿のマナウスで行われた両国の第2戦についてである。結果は2−2の引き分け。終了間際シウベストレ・バレラのゴールでポルトガルはなんとかグループリーグ突破の望みをつなぎとめた。

 そうはいっても、感動的とはとても言えない、不本意な出来のゲームであった。守備陣のチェックは緩く、中盤は十分に機能せず、最前線は決定機を逃す。声援を送ったファンの誰もが不完全燃焼であろう。

 本コラムでは以下、決定機を逃し続けるFWの問題を中心に論じてみたい。

 ポルトガル代表は今大会のメンバー23名のうち、センターFWを3人連れてきた。欧州予選ではクリスティアーノ・ロナウドに次ぐ6ゴールを決めたエルデル・ポスティーガ。故障が多いとはいえ、「いつもプレーできるわけではないが、いつもゴールを決める」ストライカーとしてパウロ・ベント監督の信頼が厚いFWである。

 次に、ポルトガルにしては珍しい大型FWのウーゴ・アルメイダ。強いフィジカルが売りである。そして、3人目がブラガに所属するアフリカ出身の長身FWであるエデル。プレースタイルやルックスがエマニュエル・アデバヨール(トッテナム)に似ていることから、“エデルバヨール”というニックネームもある。

 ベント監督の信頼度で言えば、ファーストチョイスはポスティーガ。次が経験豊富なアルメイダ。エデルは最終兵器といったところだった。だが、ドイツとの初戦では本調子でないポスティーガに代わってアルメイダが先発。しかも、アルメイダが結果を出す前にけがを負ってしまいエデルと交代。エデルが入ってからポルトガルの攻撃が活性化された部分も見て取れたが、ドイツの壁の前に新鋭FWはなす術なし。スコアを変えることはできなかった。

 引き分けでもかすかな希望は残るものの、やはり勝たなければならなかった対米国戦。負傷したアルメイダを起用できなかったベント監督はポスティーガを先発させた。立ち上がりの5分で先制したポルトガルだったが、ゴールはポスティーガではなく、右サイドのナニの右足から生まれた。誰が決めてもゴールはゴールだが、トップにいる選手の足からゴールが生まれないのはポルトガルらしかった。しかも、ゴールから10分後、ポスティーガは左太ももを痛め、またしてもエデルの登場となったのである。

 ポスティーガのけがの具合はまだ分からないが、これでポルトガルのセンターFWはエデル1人となった。

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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