人類最古の球技、日本代表を募集 世界のおもしろスポーツW杯(2)

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紀元前10世紀に誕生!? 五輪採用の可能性も

 6月15日午前10時。サッカー日本代表が世界を相手に戦った同時刻、埼玉・三郷高校グラウンドではあるマイナースポーツの世界を目指す戦いが繰り広げられていた。その競技の名前は「スポールブール」。日本ではまったくなじみがない、フランス発祥のこのスポーツ。しかしながら、その歴史は恐ろしく古い。一説によると、紀元前10世紀にはスポールブールの原型となる球技が生まれたとも言われており、“人類最古の球技”と言ってもいいのだ。

 また、国際的に五輪種目採用への活動も展開されており、特にスポールブールがフランス発祥のスポーツであることから、2024年五輪に立候補を予定しているパリが開催地に決定すれば、実施種目として採用されるという期待も広がっているという。

カーリングとよく似たルール

これが投げるボール。金属製のこちらのタイプは直径90mm〜110mm、重さ900g以上1200g以下の規定があり、実際手にするとズシリとした重量感がある 【スポーツナビDo】

 では、ルールを説明しましょう。

 簡単に言うと、全長27.5メートル・幅最大4メートルのコート内の地面に置かれた標的(ビュット)に向かって金属製のボールを投げ(転がして)、いかに近づけられるかを競う競技。その中でも、スポールブールには「トラディショナル」と「モダン」の2つの種目があり、それぞれ少しずつルールが異なってくる。

トラディショナルではゲームが進むとこんな感じになる(緑のボールが標的となるビュット) 【スポーツナビDo】

 トラディショナルは自分のボールを相手よりもビュットに近づけ、また、相手のボールに自分のボールをノーバウンドまたはショートバウンドでぶつけて弾き飛ばすこともでき(これを“ティール”と言う)、最終的に自分のボールがビュットに一番近くなることを目指すゲーム。互いの持ち球をすべて投げ終わったあと、ビュットに一番近いボールが得点となり、ビュットに一番近い相手のボールよりも自分のボールの方が2球近ければ2点、同じく3球あれば3点となる。カーリングによく似たルールなのだが、それもそのはず、カーリングはこのスポールブールから派生したスポーツなのだという。ほかにも似たスポーツとして「ペタンク」があるが、これもスポールブールから派生したものだ。

 トラディショナルでは、ビュットにどれだけ近いボールを転がすことができるかという投球の正確性がもちろん重要なのだが、ビュットと互いのボールの配置により、ティールして相手のボールを弾き飛ばしてしまうか、またはポワンテ(転がして近づける)で新たな局面を作るか、その戦略性も勝敗を大きく左右する。カーリングが“氷上のチェス”ならば、スポールブールのトラディショナル種目は“グラウンド上のチェス”と言っていいだろう。
 その一方、モダン競技はティールに特化した種目。コート内を5分間走り続けながらティールを行いビュットに何球当てられるかを競う「プログレッシブ」、11種類のビュットに1球ずつティールして、その難易度に応じた得点を競う「プレシジョン」などがある。
 ティールは助走をつけながら1kgほどのボールを12.5メートル〜19.5メートル先のビュットに目掛けて投球するダイナミックさがあり、トラディショナルを「静」とするなら、モダンは「動」。競技が盛んなフランス、イタリアではテレビ中継されることもあり、五輪種目としてはこちらの採用を目指している。

競技人口は10名程度、5年ぶりの日本選手権

5年ぶりに開催された日本選手権、参加選手の平均年齢もグッと低くなった 【スポーツナビDo】

 15日に開催されたスポールブール日本選手権1日目は、まずトラディショナル種目で争われた。参加選手は8名。公益社団法人日本ペタンク・ブール協会の岡本正行さんによれば、日本の競技人口は10名程度ということなので、ほぼ全員が集まったことになる。顔ぶれは男性7名、女性1名。年齢は20代〜50代と幅広い。中には競技歴3カ月ほどで、細かいルールに関しては覚え切れていないという選手もいた。
 このように、あまりにもマイナーすぎるスポーツなのだが、実は日本選手権は5年ぶりの開催なんだという。
「それまでは14年連続で開催していたのですが、やはりプレーする人数が足りなくて開催できずにいました。3〜4人ぐらいで開催したところで名ばかりの日本選手権になってしまう」と岡本さん。しかし、地道な普及活動が芽を出し始め、今年ようやく大会を開催できるまでになった。しかも20代の選手も新規に加わり、競技人口の平均年齢もグッと若くなった。

第一人者の豊田さん、夢は甲子園から五輪へ

日本のスポールブール競技の第一人者・豊田想さん 【スポーツナビDo】

 午前10時から予選リーグがスタートし、決勝トーナメントを経て優勝の座を勝ち取ったのは、日本のスポールブール第一人者・豊田想さん。調子が上がらずに予選リーグ、決勝トーナメント1回戦と苦戦続きだったものの、決勝戦では貫禄を見せ付けるように完勝を収めた。

「確か2001年だったと思うんですけど、素人が五輪に出場できる可能性がある種目というのをテレビ番組でやっていて、それを見たのがきっかけでスポールブールを始めたんです」

 元高校球児だったという豊田さん。しかし高校2年生のとき、ケガが原因で甲子園の夢を諦めた。このことを大学生になってからもずっと後悔していたという。そんなとき、スポールブールが豊田さんの心に刺さった。

「特にプログレッシブは持久力と命中力が勝負の種目。野球部時代、肩と持久力は部内で一番だったので、自分の特性を生かせると思いました。それに将来的には五輪選手になれる可能性もあるので、自分の人生を注ぎ込める価値があると思いましたね。競技を始めてすぐにのめり込みました」
 甲子園を諦めたことでくすぶり続けていた“夢”が、五輪という新たな形となって再燃。豊田さんはプログレッシブ、プレシジョンなどモダン競技すべての日本記録を更新し、世界選手権にも出場。2013年11月に開催された前回の世界選手権アルゼンチン大会では、欧州で活躍するプロのメダリストを破るなどして世界第10位の成績を残した。

「もっとスポールブールの認知度を広めたいし、このスポーツを残していきたい。日本では“絶滅危惧スポーツ”ですから。そのためには世界の舞台で活躍することが必要。来年の世界選手権では優勝はもちろん、最低でもワールドゲームズ(オリンピックの補完的な大会)の出場資格を得られる5位以内には入りたいですね」

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著者プロフィール

習慣的にスポーツをしている人やスポーツを始めようと思っている20代後半から40代前半のビジネスパーソンをメインターゲットに、スポーツを“気軽に、楽しく、続ける”ためのきっかけづくりとなる、魅力的なコンテンツを提供していきます。

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