室伏広治、20連覇の軌跡 日本選手権初優勝から鉄人になるまで

寺田辰朗

テグ世界陸上金メダルに象徴される熟成期

39歳室伏、無敵の20連覇 1995年6月、陸上日本選手権男子ハンマー投げで初優勝した室伏広治=国立競技場 【共同】

 30歳を過ぎた05年以降は“今の室伏”に変わっていく熟成期に入る。
 体力的にはピークを過ぎ、記録も83メートルは超えられない。肉体のあちこちに「金属疲労のような症状」(室伏)が出始めた。05年は再度、腰痛がひどくなり、出場試合は日本選手権1試合だけ。ヘルシンキ世界陸上は欠場せざるを得なかった。

 以前のようなトレーニングはこなせなくなり、室伏独自のメニューが多くなり始めた。室伏の成田高時代の恩師でもある日本大の小山裕三監督は、自身が指導するやり投げの村上を室伏と合宿させた時「まねしようと思うな」と忠告したという。世界のトップになればなるほど、トレーニングは独自性が強くなる。

 試合数も徐々に減っていった。05年以降は6月の日本選手権が初戦というシーズンが多くなる。日本人2番手との差は大きく、自身の状態を確認する意味で出る日本選手権でも勝ち続けた。

 ただ、07年の大阪世界陸上も翌年の北京五輪も、本番を万全の体調で迎えることができなかった。本当に成熟したといえるのは(熟成期後半)、国際陸上競技連盟がその年に新設したハンマー投げチャレンジシリーズで優勝した10年以降だろう。日本選手権の記録は下がったが、国際大会では、その時の力を完璧に出し切るようになった。

 米国で複数のセラピスト、トレーナーらと“チーム・コウジ”を結成。体のケアやトレーニングメニューを、年齢やピークを作るための自身の状態に適したものにした。
 バーベルにいくつものハンマーをぶら下げて、あえてアンバランスな状態で筋力トレーニングを行う。扇子を投げたり、新聞紙を片手で丸めたり、投網を投げたりもした。「筋肉も鍛えますが、感覚を磨くことが大きな目的でした。軽い物を持っても重い物と同じだけの力を入れられるように、自分で抵抗を作ることもします」
 そうした取り組みが結実したのが、11年のテグ世界陸上だった。最初の金メダルから7年後に、2度目の金メダルを取る。ハンマー投では世界初の快挙だった。

東京五輪まで現役の可能性も?

【表】室伏広治20年の軌跡(作成・寺田辰朗)1ページと同じ表。(クリックすると拡大) 【スポーツナビ】

 表からもわかるように、12年、13年と日本選手権の記録は以前と比べ明らかに低くなっている。だが、12年のロンドン五輪と翌年のモスクワ世界陸上は78メートル台を投げて入賞した。それが完全に熟成した“今の室伏”である。
 区切りとなる日本選手権20連覇を達成した今も、現役続行を望む声は多いし、実際、まだ勝ち続けることもできそうだ。どこまで本気か判じかねるが、室伏本人も「東京五輪」と口にすることがある。

 10月に40歳となる室伏は研究者としても認められ、中京大では准教授。今季から授業も受け持つ。そして20年東京五輪・パラリンピックの理事としての活動も期待されている。社会的には選手という立場だけではなくなっていて、その大変さを質問されると、次のように答えた。
「これまでも競技と研究、2つのことに並行して取り組んできましたが、相乗効果となって良い結果が出ました。東京五輪の理事としての活動が、私にはポジティブに働くと思います」
 以前から「競技を極めることに終わりはない」と言い続けている室伏。“日本選手権26連勝”の可能性も、ないとは言い切れない。

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著者プロフィール

陸上競技専門のフリーライター。地道な資料整理など、泥臭い仕事がバックボーンだという。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。敬愛する人物は三谷幸喜。

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