20年目の命日、セナを忘れない
日本が愛した「音速の貴公子」

90年前後、日本にF1ブームを呼んだ存在

80年代後半から90年代前半にかけ、「音速の貴公子」として日本のファンから愛されたアイルトン・セナ。没後20年も今なお伝説は生き続ける
80年代後半から90年代前半にかけ、「音速の貴公子」として日本のファンから愛されたアイルトン・セナ。没後20年も今なお伝説は生き続ける【Getty Images】

 5月1日はアイルトン・セナの20年目の命日。本名、アイルトン・セナ・ダ・シルバ。この名前を聞いて感慨にふけているのは、間違いなく30代前半以上の人だろう。10代のスマホ世代にとっては、名前も知らない人も多いかもしれない。1960年3月1日、サンパウロ生まれのブラジル人ドライバー。日本では、当時フジテレビで実況を担当した古舘伊知郎が『音速の貴公子』と名付け、日本人初のフル参戦ドライバーである中嶋悟とともに、日本中にF1ブームを呼んだ存在だ。


 セナ自身は、マクラーレン・ホンダの黄金期をけん引するドライバーとして、1988年、90年、91年の3度にわたってワールドチャンピオンを獲得している。そして94年のサンマリノGP決勝レースにて、公式にはステアリングコラムが原因とされる単独クラッシュの事故で亡くなった。享年34歳。


 彼の功績を振り返ると、通算41勝(歴代3位、死亡当時2位)、通算65ポールポジション(歴代2位、死亡当時1位)、同じGPでの通算ポールポジション回数歴代1位タイ(8回・サンマリノGP、タイ記録はミハエル・シューマッハの日本GP)、連続ポールポジション回数歴代1位(88年のスペインGPから89年の米国GPまでの8戦連続)、レース出場数は161回、ポールポジション獲得率は40.37%、表彰台獲得率は49.69%(通算80回)、勝率25.47%という、まさに輝かしい戦績を残してきた。


 84年のF1デビュー(トールマン)から、94年のサンマリノGPでの死亡事故までの11年間は、世界中にアイルトン・セナの名前を轟かせたと言える。特にポールポジション獲得確率は脅威的で、4年連続王者と圧倒的な強さを見せてきたセバスチャン・ベッテルでさえ、4月の中国GP終了時点でのポールポジション獲得確率は36.29%にとどまる。現在3連勝中のルイス・ハミルトンが25.56%、7度のワールドチャンピオンを獲得したシューマッハでも22.22%だから、いかにセナのポールポジション獲得率が高いかが分かるだろう(現役ドライバーのポールポジション獲得率は中国GPまでで計算)。

哀愁漂うセナとホンダの親密な関係

 セナとは、どのような人物だったのだろうか。よく言われているのは、気難しく、内向的な性格であったこと。88年から89年の2年間を同じチームで過ごしたチームメイトのアラン・プロストとの確執が知られている。これを裏付ける証言としては、まだセナがジュニア・フォーミュラを戦っていたころに知り合い、専属PRおよびカメラマンとして若き日を一緒に過ごしたF1カメラマンのキース・サットンは「昔のセナはおどけることもあるし、酒こそそれほど飲まなかったが、一緒に騒ぐこともあった。しかし、F1にステップアップしてからは本当の自分を出していなかったと思う」と語っている。


 F1は常にヨーロッパ文化の村で、非常に閉塞的な一面があり、政治的なF1の一面は『ピラニア倶楽部』と表現されていて、ブラジル人というだけで欧州出身ドライバーより不利な立場にあった。さらに同じブラジル・サンパウロ出身で2度のワールドチャンピオンを獲得したネルソン・ピケからはF1入りを政治的に妨害されていた。


 つまり、セナはF1村のマイノリティーという弱い立場に加えて、味方になるべき同郷ドライバーからも攻撃され、必然的に周囲に対して保身的な行動を取っていたと言える。そんな中で、セナが出会ったのがホンダという存在だ。ピラニア倶楽部において、同じマイノリティーとして戦う日本人エンジニアたちは親近感を覚えるのと同時に、勝てるエンジンを持つホンダに強くひかれていた。


 当時、ホンダのエンジニアとして働いていた木内健雄(現在は本田技術研究所スマートモビリティ開発室上席研究員)は、「初めて出会ったのはベルギーGPでしたが、彼が工具箱の上に座ってあいさつする態度で、正直印象は良くなかったですね。でも、茶目っ気もあったりして、弟みたいな感じでした」とセナの印象を語っている。そしてセナはマクラーレン・ホンダに入ると日本人ファンのF1アイコンとして君臨した。


 当時もプロスト、ナイジェル・マンセル、ピケ、ゲルハルト・ベルガーら魅力的な外国人ドライバーは多かったが、セナだけが圧倒的な人気を得ていた。それこそ、シューマッハやベッテル以上に人気があったと言えば理解してもらえるだろうか。その理由はいくつかあるが、ひとつにはセナ独特の哀愁があったことが挙げられるだろう。


 セナは決してシューマッハやベッテルのような体力に自信があるタイプのドライバーではなかった。それこそ、レース終了後に体力を使い切って、コクピットから出ることさえ苦労するほどのレースもあった。その一方で、予選では最後の最後に必ずこれまでの記録を塗り替えてポールポジションを奪い取る圧倒的強さを見せた。そうした精神力で挑むセナの姿勢に日本のファンは魅了された。

田口浩次

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