長谷川穂積はなぜ打ち合いに応じたか!?=対応しきれなかった王者の強打

船橋真二郎

3Rには左ボディで展開を立て直しかけたが…

7R、長谷川は王者マルチネスの左フックを食らいこの試合3度目のダウン。レフェリーが試合を止めた。 【t.SAKUMA】

 立ち上がったものの、足元がふらつく長谷川をマルチネスは容赦なく攻める。足を使えなくなった長谷川には打ち合うしか道はない。「離れろ!離れろ!」。大阪城ホールをファンの悲痛な叫びが包んだ。ラウンド終了10秒前の拍子木をマルチネスがゴングと勘違いしたことにも助けられ、このあわやのピンチを辛うじて乗り切った長谷川。3ラウンドには打ち合いの中、左ボディでマルチネスをたじろがせると、徐々に足を使いながら距離を取り直して、展開を立て直しかけた。

 だが、ダメージの残る足が完全に生き返ったわけではなかった。4ラウンドには、またも左フックでよろめく。さらにはバッティングで左目の上をカットするなど、予断を許さない状況は続いた。5ラウンドは、長谷川が左を上下に打ち分けて先手で攻め、マルチネスの左右のフックをことごとくダッキングでかわして場内を沸かせるも、ラウンド終盤、傷口を狙った右を合わされるなど、旗色が悪くなる。

 6ラウンドにはブレイク後の加撃でレフェリーがマルチネスに減点を与えた。これまでの経験のすべてを注ぐように粘り強く戦う長谷川に対し、マルチネスの焦りがちらついたが、再開後はいきなりの右で長谷川をロープに詰めたマルチネスが自らの土俵で打ち勝った。

「盛り返してることは盛り返してるけど、もらいながら打ってるんで、その分、ダメージもたまっていった」
 山下会長の言葉どおり、マルチネスの強打とわたりあった長谷川は、着実にダメージをためこんでいった。迎えた7ラウンド、強烈な左フックを直撃され、長谷川が一瞬置いて前に崩れ落ちる。はっきりと末期的とわかるダウン。ここは何とか立ち上がったものの、すぐに左フックをフォローされると、長谷川は再びゆっくりとキャンバスに沈んだ。同時にレフェリーが両手を交差して試合終了を宣し、青コーナーからタオルが舞った。7ラウンド1分20秒TKO負け。こうしてひとつの時代が幕を閉じた。リング上の長谷川に、花道を去っていく長谷川に、1万4千の惜しみない拍手が降り注いだ。

ボクシングの美しさ、本質、誇りを見せ続けた“日本のエース”

長谷川の戦いを見守った1万4千人のファンからは惜しみない拍手が送られた 【t.SAKUMA】

 試合後、長谷川は病院に直行。会場外の駐車場で車に乗り込む直前、「ありがとうございました。また、あらためて会見させていただきます」とだけ言葉を残した。後を引き取って取材に応じた山下会長は「しんどいというから大事を取って」と説明していたが、のちに眼窩底骨折と鼻骨骨折と判明した。進退については「控え室ではその話はしてないけど、本人の意志を尊重してやるしかない」とした山下会長は「試合で完全燃焼もあるけど、ある意味、練習で完全燃焼したし、これが結果。すべてですよ」と言葉をつないだ。

 類まれなるタイミングで放つカウンター。速射砲のような連打。誰からともなく“日本のエース”と呼ばれたバンタム級王者時代、守り続けていたのは緑のベルトだけではなかった。ボクシングという競技の美しさ、本質、誇り――。その名にふさわしい試合を見せ続け、ボクシングファンの溜飲を下げてきたのが長谷川だった。山下会長も「これだけ、ボクシング界で頑張って、貢献した人間。なんらかの場を設けます」と約束した。

 試合当夜の22時になる前、重傷を負った長谷川がファンへの感謝を伝えるために自身のブログを更新した。
「もっと足つかったりカウンター練習したりいろいろしてたんですが、試合で出せなくなった自分がいます」

 その一文が重たかった。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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