ソチに見た障害者スポーツ発展への課題=東京パラリンピックに生かすために
高いスキー技術が光ったアルペンスキー陣
日本は男子滑降で狩野(左)が金メダル、鈴木が銀メダルを獲得するなど、アルペンスキー陣が躍進した 【Getty Images】
今大会、日本が最も躍進したのは、アルペンスキーだ。男子座位の狩野亮(マルハン)が、得意の高速系種目である滑降、スーパー大回転で2個の金メダルを獲得し、同じく鈴木猛史(駿河台大職員)は、やはり自身が最も得意とする回転で金メダルを獲得した。
アルペンスキー会場であるローザ・フートルは、フィニッシュ地点の標高が970メートル、最も標高差と距離のある滑降では、スタート地点の標高が1590メートルだ。パラリンピックが開催された期間、観客席からはコース以外は山肌が黒く見えていた。コースの雪は、ちょうど日本のゴールデンウィークのスキー場のような、ザクザクのザラメ雪。それを大量のスノーセメントで固めている。視覚障害、立位と競技し、最後に座位がスタートするころには、コース上は先に滑走した選手たちのラインが無数の溝となり、理想のターン弧が描けない状態だった。各国の強豪選手も苦戦を強いられ、転倒者が続出。米国は大会期間中に4度も、ケガを負った選手がヘリコプターで搬送されるという異例の事態となった。実際、スーパー大回転の男子座位では、31人の出場選手のうち、完走したのはわずかに12人。まさに、サバイバルレースの様相を呈していた。
このようなコース状況の中、高速系2種目で金メダルを獲得した狩野は、その勝因を次のように語る。
「公式トレーニングの時から、荒れたバーンでスキーがたたかれ、正直、自分の思った通りに滑れたという実感は少ないです。また、滑降なのにまるで大回転の旗門を滑走しているかのような、非常にテクニカルなコースレイアウトでした。2本行われた公式トレーニングでは、回転が得意な(鈴木)猛史が、1番、2番というタイムをたたき出していました。この難しいコース状況が、スキー技術の高い日本人選手にとって、アドバンテージになったのではないかと思っています」
実際、鈴木は滑降で銅メダルを獲得。鈴木は、この難しいバーン状況でも、最高速度時速112.8キロ、狩野は115.9キロをマークしている。ちなみに男子立位では最高速度は時速125キロを超えた。五輪の高速系種目での最高速度が130キロ。パラリンピックは、五輪と遜色のないレベルだったということが分かる。
さらに、スーパー大回転では、日本選手団主将の森井大輝(富士通セミコンダクター)も銀メダルを獲得。高速系種目だけで日本は5個のメダルを手にしたのだった。
悪条件を想定したはずが……
4年前のバンクーバー大会のアルペンスキーでも、天候不良により技術系種目が先に行われるなどのスケジュール変更があったが、今大会でも、同様に11日、濃霧のため、本来スーパー大回転が先に行われる男子スーパー複合で回転が先に行われ、14日にスーパー大回転が行われた。これに伴い、女子回転の日程が14日から12日に変更となった。
気象条件やコース状況の悪化、スケジュールの変更を想定していた日本だったが、実際には、こうした悪条件が重なった後半戦は、力を出し切ることができなかった。男子座位の表彰台独占が期待されたスーパー複合や大回転で、日本のメダルはゼロ。普段、氷河やハードパックされた(圧雪車などで整備され、人為的な硬化作業が施された)硬いバーンでトレーニングを積んでいる欧米の強豪選手たちは、この悪条件をものともせず、しっかりと対応して結果を残した。日本チームはソチの条件を想定し、日本の柔らかい雪質で練習を積んできたにもかかわらず、最終的に、目指していた成果を100%残すことはできなかった。
「日本チームは、もともと回転や大回転といった技術系のスキルが高い。そのため、特にこの1年間は高速系種目の練習を重視してきたところがあります。そのことは今大会、しっかりと成果として残すことができましたが、一方で、後半の技術系種目では、猛史以外は結果を残すことができなかった。欧米の強豪国のテクニックの引き出しが、日本に勝っていた。4年後に向けて大きな課題となりました」
と、切久保豊コーチは締めくくった。