真央vs.ヨナ 女王の座を競う永遠のライバル対決=プレーバック五輪 第14回

辛仁夏

浅田真央(左)とキム・ヨナ、二人のライバル関係がお互いを高め合った 【写真は共同】

 ソチ五輪の舞台でいよいよ浅田真央とキム・ヨナの日韓女王対決物語が最終章を迎える。
「永遠のライバル」と言われてきた2人は、1990年9月生まれの同い歳。恵まれた容姿とスタイルも似ていて、両親と姉がいる家族構成も同じ。浅田は日本で、キムは韓国で、いずれも「国民的アイドル」として大きな注目を浴び続けている境遇まで一緒だ。

 そんな2人はシニアデビューを果たした15、16歳の頃からそのライバル関係をメディアで取り上げられ、常に追いかけられてきた。比較対象として否が応でも意識せざるを得ないライバルの存在を疎ましいと感じたときもあっただろう。それでも、浅田とキム・ヨナの2人がトリノ五輪後の女子フィギュアスケート界を席巻できたのは、世界を舞台に繰り広げたライバル同士の切磋琢磨(せっさたくま)があったからこそだ。どのスポーツでもライバルがいる選手は強くなれるし、長く輝き続けられる。まさに、この“方程式”が浅田とキム・ヨナのライバル対決にも見られたことは誰も異論を差し挟めないのではないか。

 15歳で一足先にシニアの舞台に華々しく登場した浅田を追いかけるように、翌シーズンに16歳でシニアデビューを飾ったキム・ヨナ。ジュニア時代は代名詞のトリプルアクセルを跳ぶ浅田は敵なし状態で、キム・ヨナはその背中を必死に追いかけるしかなかった。だから一時期、浅田の武器であるトリプルアクセルを習得しようとハーネスを使ってのジャンプ練習(選手の腰に巻きつけたハーネスにロープをつなげて、滑車でコーチが引っ張りあげることでジャンプの感覚をつかむ)に励んだこともあった。結局はこの大技習得は断念したが、別のジャンプで武器を作ることに取り組み、高難度のトリプルルッツ+トリプルトーループの連続ジャンプを磨いてきたといういきさつがある。

 前回のバンクーバー五輪では、金メダルを目標に掲げた2人が、お互いに刺激し合いながらタイトルを競い合い、五輪の舞台の幕が閉じるまで激しいライバル対決を繰り広げた。そして、バンクーバー五輪後もずっとリンクに立ち続け、さらに成長を遂げてきた浅田に対し、念願の五輪金メダリストに輝いたキムは2シーズンを休養しながらもその実力を維持して、浅田とともに再び五輪に向かう。「いいライバルがいたから成長できた」と浅田が言えば、キム・ヨナも「いいライバルがいなかったら今の私はいなかった」と振り返る。

 トリプルアクセルを跳ぶ女子選手として記憶に残る浅田で終わるのか。それとも悲願である五輪の金メダルを手にして記憶と記録を刻めるのか。はたまた、キム・ヨナが五輪連覇を飾って歴史を刻むのか。このライバル物語はもうすぐ結末を迎えようとしている。
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著者プロフィール

 東京生まれの横浜育ち。1991年大学卒業後、東京新聞運動部に所属。スポーツ記者として取材活動を始める。テニス、フィギュアスケート、サッカーなどのオリンピック種目からニュースポーツまで幅広く取材。大学時代は初心者ながら体育会テニス部でプレー。2000年秋から1年間、韓国に語学留学。帰国後、フリーランス記者として活動の場を開拓中も、営業力がいまひとつ? 韓国語を使う仕事も始めようと思案の今日この頃。各競技の世界選手権、アジア大会など海外にも足を運ぶ。

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