佐野稔、本田武史、高橋大輔、日本男子フィギュアの歴史=プレーバック五輪 第8回

辛仁夏

世界フィギュアで2度メダルを獲得した本田武史(写真)らの存在が、日本をフィギュア強国に押し上げた 【写真は共同】

 日本男子フィギュア界には、その歴史の一ページに世界の舞台で輝かしい結果を残したエースと呼ぶにふさわしい選手が3人いる。

 1977年の世界選手権・東京大会で日本人初の銅メダリストに輝いた佐野稔。2002年、03年の世界選手権で2大会連続の銅メダルを獲得した本田武史。そして、10年バンクーバー五輪で、日本男子フィギュア初の五輪のメダルとなる銅メダルを手にし、同年の世界選手権でチャンピオンとなった高橋大輔だ。
 全日本選手権で佐野は5連覇を成し遂げ、本田は6度の優勝を誇り、高橋は3連覇を含めた5度の優勝を飾っている。いずれの選手もそれぞれの全盛時代に日本男子のエースの座に就いた。

 そしてこの3人の大先輩であり、50年代から60年代に現在も破られていない全日本選手権10連覇を達成し2度の五輪出場を果たしたのが、現在浅田真央のコーチを務める佐藤信夫だ。
 2010年に世界フィギュアスケート殿堂入りした佐藤が「日本男子でエースと呼べるのは、佐野、その次は本田、そして高橋と言っていいでしょう。彼らがエースになるには強力なライバルたちがその時代にいたから。欧米の選手が席巻していた時代に常識を覆す世界3位という偉業を達成した佐野にも松村(充)や五十嵐(文男)がいましたね。ライバルなくしてはエースにはなれませんよ」と指摘するように、エースの存在の裏では、その座を争う競争相手が時代を支えていたという。

 それぞれの時代とともにジャンプも進化を続けている。佐野は日本男子として初めて世界選手権で5種類の3回転ジャンプをパーフェクトに跳ぶ、オールラウンダー型のスケーターだった。しかし、その時代には男子でもまだトリプルアクセルを跳ぶ選手はいなかったという。その後、佐野が引退した翌年の78年にカナダの男子選手が初めてトリプルアクセルを成功させると、88年には日本の伊藤みどりが女子選手として初めてトリプルアクセルに成功。そして現在は、3回転主流の時代から4回転の時代に突入している。

 64年に米国の選手がトリプルトゥループを成功させてから24年後の88年、カナダのカート・ブラウニングが4回転トゥループを初めて跳んだ。また、ルッツは62年にカナダ選手が初めて3回転を跳んだ49年後、2011年に米国のブランドン・ムロズが4回転ルッツを成功させた。このように、ジャンプの種類によって3回転から4回転への進化の度合いはまちまちだが、あと数年もすれば男子では2、3種類の4回転が当たり前になる時代がやってきそうだ。

 すでに4回転時代に突入している男子フィギュアの現在。ソチ五輪ではこの4回転ジャンプの成否によるメダル争いが展開されることになるだろう。
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著者プロフィール

 東京生まれの横浜育ち。1991年大学卒業後、東京新聞運動部に所属。スポーツ記者として取材活動を始める。テニス、フィギュアスケート、サッカーなどのオリンピック種目からニュースポーツまで幅広く取材。大学時代は初心者ながら体育会テニス部でプレー。2000年秋から1年間、韓国に語学留学。帰国後、フリーランス記者として活動の場を開拓中も、営業力がいまひとつ? 韓国語を使う仕事も始めようと思案の今日この頃。各競技の世界選手権、アジア大会など海外にも足を運ぶ。

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