大久保嘉人、亡き父に捧げる得点王=川崎をACLに導いた土壇場の勝負強さ

江藤高志

望みを繋ぐ劇的な決勝弾

11月、12月の4連戦で4ゴールを決める活躍を見せた大久保。川崎は最終節でACL出場権を獲得している 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 0−0で迎えた後半のアディショナルタイム。レナトのシュートがポストにあたり、跳ね返りを詰めた井川祐輔のシュートもクロスバーを直撃した。至近距離からの2本のシュートが枠を捉えられない現実に誰もが引き分けを覚悟した。

 対戦相手は最下位の大分トリニータ。すでにJ2降格が決まっている彼らには大きなモチベーションがあった。本拠地での今季最終戦、ホームでの初勝利を目指していたのである。勝利そのものが目的の大分の気持ちは強く、難しい試合になっていた。

 場内に伝えられたアディショナルタイムは4分。ボールデッドの状態で4分が経過し、スローインとなる。笛を吹くタイミングを逸した主審が試合を止めるのは、このプレーが途切れた直後のはず。誰もが最後のプレーになるだろうと考えた、そんな土壇場で大久保嘉人の元にボールが運ばれる。

 エリア内ではあったが、目の前にはブロックしようとするDFの姿があった。確実に枠に飛ばそうと低いシュートを打てばDFの体を直撃する可能性が高い。そんな中、大久保が選択したのは上方のコースだった。

 大久保自身が試合後に振り返った言葉では「それまでのチャンスの中では一番難しかったとは思います」と述べつつ、「でも自信を持って打てました」と自信も口にした。そんな大久保のシュートはクロスバーを直撃し、そしてゴールの中に転がった。このゴールによりJ1第33節(11月30日)を1−0で勝利し、他会場の結果から最終節にアジアチャンピオンズリーグ(ACL)出場への望みを繋いだ川崎フロンターレ。続く最終節(12月7日)でも首位横浜F・マリノスをホーム等々力競技場で下し、結果的にACL出場権を手にしたのである。

苦戦が予想されたシーズン最後の4連戦

 大久保が月間MVPに選出された11月と12月、川崎のシーズン最後の4連戦は非常にタフなものだった。31節(11月10日)に対戦した清水エスパルスは6得点をあげたサガン鳥栖戦に続き、ジュビロ磐田とのダービーマッチを1−0で制するなど、2連勝と波に乗った状態での対戦。32節(11月23日)に対戦した浦和レッズは、首位横浜FMを勝ち点1差で追撃しており、アウエー埼玉スタジアムでの難しい戦いだった。33節の大分戦は前述の通りで、最終戦で対戦した横浜FMは自力優勝をかけていた。

 川崎は、この4試合に先立つ10月27日に行われた30節の鹿島アントラーズ戦で完敗(1−4)し、上位戦線からは完全に脱落していた。今季の目標として公言していたACL圏内の3位サンフレッチェ広島が、30節終了時点で勝ち点56だったのに対し、川崎は勝ち点48点の7位。残り試合は4つしかなかった。一般的に残り試合数と追いつける勝ち点差は一致すると言われる。つまり経験則的に川崎が追いつけるのは勝ち点50の5位セレッソ大阪(30節終了時点)が精一杯だと考えられていたのである。

 目標を見失ってもおかしくはない中、迎えたのが11月からの最後の4連戦だった。鹿島戦の敗戦を引きずり、連敗するようなことがあるとズルズルと負け続ける。そんな怖さを感じながらの試合だった。

得点王を取るために試合に出続けたい

 この最後の4連戦を語る前に、5月の話をしておこうと思う。今季の大久保を語る上で外せない出来事が起きたのである。父・克博さんの訃報だ。0−2から大久保の2ゴールによって2−2に追いついた11節(5月11日)のC大阪戦後、大久保は昏睡状態に陥っていた克博さんの元に赴き、敬愛する父の最期を看取る。母と姉妹という3人の女性に囲まれる中、唯一の男性の肉親として、そして大きな目標として父の背中を追いかけていたという大久保は、父への強い思いを持っていた。川崎への移籍時に長髪だった大久保は、父の死後に見つかった遺書に書かれていた遺言の一つに従い、髪を短く切りそろえるほど。大久保は5月以降、それだけの影響力を持つ父に得点王のタイトルを捧げたいと願いプレーしていた。

 大久保が行った得点王を取るための行いの一環として、警告をもらわないよう自制するということが挙げられる。「1試合も休みたくない」と3度目の警告を受けた21節以降は特に気を使い、結局プロ入り後初めて累積警告や退場に伴う出場停止を受けないままシーズンを終えた。

 出場し続けたいという思いは、2点を決めた第28節(10月6日)の柏レイソル戦でも見られた。柏戦では、試合中に全身が麻痺する症状に襲われるが「ベンチに下がって痛さがなくなってきて『やれるじゃん』と思いたくなかった」とプレーを続行した。

1/2ページ

著者プロフィール

1972年、大分県中津市生まれ。工学院大学大学院中退。99年コパ・アメリカ観戦を機にサッカーライターに転身。J2大分を足がかりに2001年から川崎の取材を開始。04年より番記者に。それまでの取材経験を元に15年よりウエブマガジン「川崎フットボールアディクト」を開設し、編集長として取材活動を続けている。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント