ロナウジーニョ、諦め切れぬW杯への道=『セレソン』への試金石となるクラブW杯

大野美夏

コンフェデ杯に選ばれずも、リベルタドーレスで優勝

33歳になった今でも、セレソンへの想いを捨てていない。クラブW杯は再びカナリヤ軍団の一員になるための試金石となるだろう 【Getty Images】

 ロナウジーニョのいないセレソンは、絶好調でコンフェデ杯を優勝した。それでも、ロナウジーニョには別の大舞台が用意されていた。7月25日、アトレチコ・ミネイロはリベルタドーレス杯獲得というクラブ史上最高の栄誉を手に入れたのだ。

 それは決して簡単な戦いではなかった。

 ベスト16では同国のライバルでリベルタドーレス杯獲得にただならぬ情熱を持つサンパウロFCを倒し、準々決勝では、辛くもメキシコのティグアナを破った。準決勝では、アルゼンチンのニューウェルズ・オールド・ボーイズにアウエーで0−2を喫し、崖っぷちになった後、ホームで2−0で倒しPK戦に持ち込んだ末に勝利をもぎ取った。

 決勝戦でも同じくパラグアイのオリンピアに対し敵地で0−2で敗れたが、準決勝の際にホームで状況をひっくり返したことが自信につながっていた。今度もきっとやれると信じたら、もう一度同じことが起こり、PK戦に4−3で勝利、悲願の優勝を手に入れたのだ。

大活躍も左太ももの筋肉破損で戦線離脱

 ブラジルで完全復活を遂げたロナウジーニョ。ブラジルに帰国してフラメンゴでプレーしている時は、まさかロナウジーニョがここまでやれるとは誰も思わなかっただろう。

 しかし、やはりロナウジーニョはロナウジーニョだった。

 彼一人の力ではないが、ロナウジーニョがアトレチコ・ミネイロに来たことで、チームに自信をもたらした。ちなみに、一緒に戦ったFWジョーとFWベルナールはセレソンでも活躍し、コンフェデ杯優勝の原動力となっている。

 このまま年末のクラブワールドカップ(W杯)まで行くかと思われたが、9月、ロナウジーニョは左太ももの筋肉破損に見舞われてしまった。

 33歳になるまで、大きなけがとはほぼ無縁だったロナウジーニョだが、今回のけがは08年に6週間の戦線離脱をして以来の深刻な病状だった。ドクターの診断によると回復まではうまくいけば2カ月、状況によっては約3カ月かかる見込み。ちょうどクラブW杯に間に合うかどうか、ぎりぎりのものだった。

クラブW杯の先に見えてくるセレソン入り

 そして12月に入りクラブW杯が近づく頃、ロナウジーニョが驚異的な回復力をみせクラブW杯には復帰するというニュースが流れてきた。ロナウジーニョはバルセロナ時代にクラブW杯を経験しているだけに、欧州チームの情勢がよく分かる。

「欧州のチームは、南米のチームのことを良く知らない。ブラジルリーグを見るわけじゃないし、相手が僕たちの情報をあまり持っていないというのが、こっちの強みになる。アトレチコ・ミネイロのスタイルを変える必要はない。たとえ相手がバイエルンでも積極的に攻めるアトレチコ・ミネイロのやり方を変えないで戦いたい」と意欲満々だ。

 それもそのはず、ロナウジーニョにとってクラブW杯はセレソン復帰の最後のチャンスでもある。スコラーリ監督は、ほぼ最終メンバーのリストを決めているが、ロナウジーニョも45名のプレメンバーに入っているため希望は捨てていない。

「僕はスコラーリ監督とこれまでにも一緒に戦ってきて、監督との関係は良好だ。監督はほぼメンバーを固めているようだけど、最後の招集まで何が起こるか分からない。調子のいい選手はきっと呼ばれる。僕はとにかくけがの前のいい状態に戻すことが目標だ。中盤からトップまで、監督の望む役割をどこでもこなす自信がある」

 モロッコでのロナウジーニョの活躍に注目しないわけにはいかない。

<了>

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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