自分をさらけ出すことから始めたチーム作り=バレー眞鍋監督・女子力の生かし方 第1回
全日本女子バレーボールチームに銅メダルをもたらした眞鍋監督が、女性のマネジメントや組織の結束について語った 【スポーツナビ】
結果につなげるための女性のマネジメントや組織の結束など、仕事やチーム作りに役立つ“眞鍋流”の発想はどのように生まれたのか? 眞鍋監督に聞いた。
男女の違い、個性……女性マネジメントは難しい
われわれ、全日本女子バレーボールチームは、アジアのライバルである韓国にストレートで勝ち、念願の銅メダルを獲得しました。
五輪でのメダル獲得は、私が全日本の監督を拝命した当初から掲げていた目標。もちろん、その道のりは決して楽なものではなく、何度も窮地に立たされ、そのたびに無我夢中で取り組んだ4年間でした。数々の苦難を乗り越え、身長もパワーも勝る海外チームに競り勝てたのは、選手やスタッフ一人一人の努力と組織力の賜物(たまもの)です。
特に女子チームは、“パズルのピース”がかちっと合うように結束力が強まった瞬間、とてつもないパワーを発揮します。男子チームだと10の力が20ほどになるところ、女子は60、80もの力になる。とかく女子選手は「皆のために!」という言葉が好きで、それが原動力になるのです。
しかし、結束力が高まるまでのマネジメントが難しい。明らかにメンタルや思考面でも、男性との違いが見受けられます。さらに、同じ女子選手でも一人一人、個性が異なる中、特性を見抜きつつ、采配を振るわなければいけません。
今でこそ、さまざまな企業から「組織の中で女性をどうマネジメントするか」といった講演依頼をいただきますが、私も最初は、監督の経験はあっても、女性マネジメントの経験などありませんでした。
逆転の発想でプレッシャーに打ち勝つ
それまでも、セッターというボジション柄、普段から選手や周囲の状況をよく見て、瞬時に判断してきました。でも、監督業は全くの別物でした。まず、全責任を背負わなければならない。その上で、コートに立ちながら客観的な視点を持ち、臨機応変な戦術はもちろん、選手の交代など即座に決断しなければいけません。メンバーは12、13人という少数精鋭の中、1972年ミュンヘン五輪金メダリストの故中村祐造副部長に教えを請いながら、密度の濃い練習を意識しました。
名門ゆえにプレッシャーとの戦いもありましたが、「代え難い経験をさせてもらっている」という発想ではねのけました。結局、6年間務めさせていただき、Vリーグで2度優勝することができました。決して満足のいく結果ではありませんでしたが、このハードな経験は、監督としての土台になっています。
イタリアで学んだプロ意識と自主性の大切さ
ワンシーズンのプレーでしたが、世界水準のバレーを知ることができました。世界との違いを最も実感したのは、選手も監督もプロ契約であること。世界のバレーボールリーグでプロがないのは、日本と韓国だけです。言ってみれば、世界選手権でのイタリア対日本は、プロ対アマチュアの戦い。両者の差とは何か。プロ意識からなる自主性の差です。
プロはレギュラーを勝ち取り、試合で活躍して初めて対価を得ることができる。監督やコーチに言われることなく、練習後も自主的にトレーニングをしています。いつクビを切られるか分からない中、必死で勝つための最善策を考え、努力する。それは選手だけでなく、監督も同じでした。
自らの生活を懸けて戦っている海外選手を相手に、アマチュアの日本人選手が勝つのは簡単ではないと思いました。それでもプロに勝つには、“日の丸を背負う”という、代表としての重みや誇りしかないとも感じました。
プロ意識や自主性の大切さを学んだ私は、00年に帰国し、旭化成やパナソニックでプレーをしました。現役を続けながら、04年には大阪体育大大学院スポーツ科学研究科に入学。将来、指導者を目指すべく、指導者論や心理学、バイオメカニクスなどを学ぶと同時に、セッターとして自身が判断してきた裏付けを取るための研究をしたかったのです。自身の判断を客観的に数字で検証する合理性を確認できたのは、女子バレーで指揮を執る立場になってから大いに役立ち、データバレーにもつながっています。