セルビア戦は“ポジティブ”だったのか?=日本代表欧州遠征取材日記(10月11日)

宇都宮徹壱

スタンコビッチの引退に想う

代表引退セレモニーでのスタンコビッチ。3つの異なる国名でW杯に出場した唯一の選手でもある 【宇都宮徹壱】

 ノビサド滞在4日目。いよいよセルビア戦の当日を迎えることとなった。キックオフ2時間前に会場のカラジョルジェ・スタジアムに到着。日本メディアに用意された記者席に行ってみると、何やらお土産の袋が置いてあり、持ち上げてみるとなかなかに重い。中身をあらためてみると、この試合で代表引退となるデヤン・スタンコビッチの愛蔵版写真集だった。ハードカバーで厚さは25ミリくらいある。もちろんうれしいのだが、明日ミンスクに移動することを考えると、荷物の重さがいささか気になるところ。セルビアの人たちの親切心は、時にわれわれ日本人に重く感じられることがある。

 本題に入る前に、スタンコビッチについて語っておきたい。この日本戦で、彼の代表キャップ数は103となり、国内最多となった(それまではキャップ数102のサボ・ミロシェビッチと並んでいた)。とはいえ、ここで私が言及したいのは、そうした数字の話ではなく、彼の背負ってきた「宿命」と呼ぶべきものについてである。

 スタンコビッチは、98年4月の韓国戦でA代表デビューを果たし(2ゴールを挙げた)、同年フランスで開催されたW杯にも最年少の19歳で出場した。その後、06年のドイツ、そして10年の南アフリカと3大会に出場しているが、興味深いのはいずれの大会も国名が変わっていることである。すなわち、98年はユーゴスラビア代表、06年はセルビア・モンテネグロ代表、そして10年はセルビア代表(ユニホームの色も青から赤に変わった)。異なる国名でW杯に出場したのは、最近ではダボル・シューケル(ユーゴスラビア→クロアチア)が有名だが、国籍を変えることなく3つの異なる国名でW杯に出場したのは、スタンコビッチが初めてあり、おそらく今後も唯一であり続けることだろう。

 もちろん、これは彼自身が望んだことではなく、彼の祖国が歴史に翻弄(ほんろう)された結果である。祖国がどんどん小さくなってゆく状況を目の当たりにしながら、異なる名前のナショナルチームで常にベストを尽くしてきた。やがて、かつての新鋭も35歳の大ベテランとなり、最後はセルビア代表としてキャリアを終えることとなった。スタンコビッチの代表引退は、彼自身のキャリアの終焉のみならず、「最後のユーゴスラビア代表」の引退でもある。その歴史的な瞬間を、はからずも現場で目撃できたことを感謝したい。

裏目に出た(?)ベストの布陣

 セルビア戦の試合内容については、得点経過を中心にざっくりと振り返ることにしたい。日本のスタメンは以下のとおり。GK川島永嗣。DFは右から内田篤人、吉田麻也、今野泰幸、長友佑都。MFは守備的なポジションに遠藤保仁と長谷部誠、右に岡崎慎司、左に香川真司、トップ下に本田圭佑。そしてワントップには柿谷曜一朗。正直、2日前まで別メニューだった遠藤のスタメン起用には驚いた。と同時に、少しばかり失望もした。ここは遠藤に無理させるよりも、ドイツで充実したプレーを見せている細貝萌を使ってほしいと思ったからだ。しかしザッケローニは、今回の欧州遠征を自身がベストと考える11人でスタートさせたかったようだ。

 結果として、それが裏目に出たように思う。序盤はセルビアのペース。相手のプレスが厳しかったこともあったが、それ以上に中盤でのミスが多く、なかなかボールが収まらない。とりわけ、コンディションが万全でない遠藤と試合勘が取り戻せていない香川は、らしくないミスを連発。中心選手が機能しないとなると、日本が目指す「全員が攻守にわたって連動するサッカー」など望むべくもない。それでも時間の経過とともに、次第にリズムを取り戻した日本は、31分に本田から長谷部へとパスがつながり、最後は香川が抜けだしてGKと1対1の場面を迎える。しかし、シュートは相手に当たってゴールならず。これが前半における、日本の唯一のチャンスであった。

 試合が動いたのは後半14分。リスタートからセルビアは右サイドをパスワークで攻め立て、バスタにボールが入ったところで日本のマークが集中。相手DF4人を引きつけたところで、バスタはノーマークとなったタディッチに決定的なパスを送る。タディッチはワントラップからゴールネットを揺らし、これが先制点となった。対する日本も反撃を試みるも、ワントップの柿谷にはなかなかボールが収まらず、2度の決定機に絡んだ岡崎もゴールを奪うには至らない。そしてアディショナルタイム1分、途中出場の細貝のクロスが相手に渡って、セルビアが一気にカウンターを仕掛ける。日本のディフェンス陣も必死に自陣へ戻るが、サイドチェンジで揺さぶられて最後はヨイッチに決められた。

 かくして日本は、ほとんど良い場面を作ることができず、0−2で完敗した――と、この時テレビを見ていた多くの人々は感じていたことだろう。だが、ザッケローニの意見は、われわれとはいささか異なるものであった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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