五輪競技に復活へ野球界にいま必要なこと=「ミスターアマ野球」杉浦正則が示す道

島尻譲

アマ選手にも日本代表に選ばれるチャンスを

杉浦さんは、野球界の活性化に日本代表チームへのアマの進出を切望する。シドニー五輪で杉浦さんらアマと、黒木知宏(右、当時・ロッテ)らプロの混成チームで臨んだ 【写真は共同】

 野球は過去7回、五輪で行われている。1984年ロサンゼルス、1988年ソウルは公開競技として、1992年バルセロナ、1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京の5大会は正式競技であった。日本はすべての大会において決勝トーナメントまで進出を果たし、金1回(ロサンゼルス)、銀2回(ソウル、アトランタ)、銅2回(バルセロナ、アテネ)のメダルを獲得している。なお、代表チーム編成はアトランタまでオールアマチュア。シドニーはプロ・アマチュア混成で、アテネ以降はオールプロという経緯を持つ。

「オリンピックの商業的なところではプロ野球やメジャーの参戦なのでしょうけれども。僕の立場だとアマチュアにも選ばれるチャンスがあってほしい」

 もしも野球が五輪において競技復活を果たして、チーム編成の段階になった時という問いに対して、そのように杉浦は切望しながら続けた。

「確かにプロには力や技があります。ただ、アマチュアの選手は一戦必勝のトーナメントに慣れている。チーム作りをしていくうえで、プロにはいないタイプの選手がアマチュアにいることだってあるでしょう。また、アマチュアのトップクラスの選手は後にプロへ行くケースも多い。プロとアマチュアの選考合宿の機会などがあれば、何が足らないのかを肌で感じ取って成長できると思うんです。そして、レベルの高い部分に触れることで……こういう練習をしていたよ、こんな高い意識だったよと、自身の所属するチームに戻った時に還元することもできる。これがプロとアマチュアの活性化、本当の野球界の活性化に。長い目で見て、野球の競技国が増えることにもつながるはずです」

 決して五輪の為だけではない。今後も野球という素晴らしいスポーツが永遠に誰からも愛され、世界的に普及することを誰よりも強く願っている。「ミスターオリンピック」もしくは「ミスターアマチュア野球」と、呼ばれた杉浦に再会して、その偉大さを痛感したとともに、野球界にはまだまだ希望が満ち溢れていると、再認識した次第である。

<了>

杉浦正則 略歴

1968年5月23日生まれ(45歳)。和歌山県出身、橋本高−同志社大−日本生命。右投右打。投手。同志社大時代は関西学生リーグ通算23勝を挙げ、全国大会(明治神宮大会)でも日本一の栄冠をつかみ取った。1991年に日本生命へ入社して、社会人野球で現役生活10年。都市対抗で2度の優勝を経験して、大会MVPに該当する橋戸賞を2回獲得。また、日本代表選出3回。五輪での通算5勝は歴代最多の五輪記録。
現役引退後、2001〜04年は日本生命の投手コーチ、05年は社業に専念も翌年現場復帰。09年まで監督を務めた。

2/2ページ

著者プロフィール

 1973年生まれ。東京都出身。立教高−関西学院大。高校、大学では野球部に所属した。卒業後、サラリーマン、野球評論家・金村義明氏のマネージャーを経て、スポーツライターに転身。また、「J SPORTS」の全日本大学野球選手権の解説を務め、著書に『ベースボールアゲイン』(長崎出版)がある。

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント