劣勢の中で存在感を発揮した本田圭佑=欧州王者に完敗も前線で孤軍奮闘

後藤健生

多くの役割を求められた本田

前線で孤立する場面も目立った本田だが、機を見て効果的なドリブル突破をみせた 【Getty Images】

 そんな劣勢の試合展開で、本田圭佑はその存在感を十分に見せつけた。本田にボールが収まったときだけは、攻撃の糸口らしきものが見えていたのだ。

 日本代表では、中盤で試合を作るのは遠藤保仁などの仕事である。本田は、前線でしっかりボールを収めて、フィニッシュの一つ前の段階での仕事に集中することができる。ボールを早く動かすのは周囲に任せ、本田自身はボールを収めて、一回タメを作ってから勝負のスイッチを入れるのが役割だった。
 だが、CSKAでの本田は中盤でゲームを組み立て、トップ下でフィニッシュのお膳立てをし、そして最後は自ら飛び出してシュートも狙う。つまり、最終ラインより前の仕事は何でもこなさなければならない。

 日本代表では、本田が中盤に下がってゲームメークの仕事を始めるとボールの回り方が遅くなってしまうという弊害がある。だが、CSKAの試合では本田が中盤でのパス回しに入ることによって、ようやくボールの動きがスピードアップできるのだ。したがって、本田はCSKAではボランチの仕事も、トップ下の仕事も要求されるのである。
 しかも、バイエルン戦では本田の相棒となるはずのアラン・ジャゴエフが欠場していたため、本田は文字通りあらゆる局面で仕事をせざるをえなくなった。

 そして、この試合の本田は、実際に中盤での守備や展開、トップ下からのラストパス。さらには、飛び出してGKと1対1になる場面を作るなど、あらゆる位置でしっかりと仕事をこなして見せた。
 バイエルンの攻撃力と対峙(たいじ)したCSKA守備陣には、前線にいいボールを供給する余裕がなくなってしまったので、本田は前線で孤立してしまう。そうなれば、バイエルンの守備陣は当然、本田にボールが入った瞬間を狙ってくる。屈強なバイエルンのDFに囲まれて、味方のフォローもない状態では、本田が十分な仕事をできないのは仕方がなかった。

前線で孤立もチャンスを創出

 本田は孤立していた。

 それでも、本田が1対1で勝負してバイエルンのDFをかわす場面は何度もあった。味方のサポートを受けられない状態ではDFに囲まれてボールを奪われてしまう場面も何度かあったものの、体を張ったキープで起点にもなっていた。
 本田にトップ下ではなくボランチに近い位置でプレーさせるという戦術もあったかもしれない。アウエーの戦いでもあり、引き分けでもいいと割り切ればいいのだ。多少、ボールの回り方が遅くなったとしても、本田に守備的な仕事をさせればいい(実際にCSKA入団当時、レオニード・スルツキ監督はよく本田をボランチで使っていた。)

 だが、CSKAは試合開始からたったの4分でデビット・アラバにFKを決められてしまい、1点のビハインドを背負ってしまう。さらに、41分にもマリオ・マンジュキッチに決められて、点差は2点と広がった。そうなると、後半は本田をより前目のポジションに置いて、反撃を試みるしかない。実際、後半は本田が起点となることで、CSKAがバイエルンゴールに迫る場面は増えていた。

 あれだけ劣勢な試合の中で、さまざまなポジションで安定したプレーを見せた本田。バイエルン戦は、世界のトップクラスの相手と対戦しても、立派にその才能が発揮できることを証明した試合となった。チャンピオンズリーグでこうしたプレーをコンスタントに披露することができれば、CSKAとの契約が切れるこの冬の移籍市場ではビッグクラブからのオファーを受けることが確実なものとなるだろう。

<了>

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著者プロフィール

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、観戦試合数はまもなく4800。EURO(欧州選手権)は1980年イタリア大会を初めて観戦。今回で7回目。ポーランドに初めて行ったのは、74年の西ドイツW杯のとき。ソ連経由でワルシャワに立ち寄ってから西ドイツ(当時)に入った。

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