棒高跳・山本聖途が誓う五輪のリベンジ「世界陸上ではベスト更新、メダルも…」
高3の挫折を乗り越え、狙うはアジア記録
山本は今大会、自己記録の更新を目標と話す。メダルは「その延長線」と見据える 【野口卓也】
「小学校の時はサッカー部ですが、夏の期間だけ陸上部があったので、そこに期間限定で入っていました。中学校はサッカー部がなかったので、陸上部に入ったという感じです。最初は長距離をずっとやっていたのですが、中学2年の夏から棒高跳をかじりだして、本格的に始めたのは高校に入ってからです」
――棒高跳を始めたところで、壁にぶつかった時期もあったと思いますが。
「高校2年の秋に5メートルを跳んだのですが、『跳躍のスタイルを変えないと、この先伸びないよ』とコーチに言われました。そこでスタイルをガラっと変えたのですが、その後1年間は記録が落ちてしまって、その時期は悩みましたね」
――その挫折を乗り越えたのはいつ頃でしょうか?
「大学1年の時に自己ベストを記録できて、そこで挫折の時期も終わったという感じでしたね」
――記録を更新していく中で、一番壁を感じたのは何メートルからだったのでしょうか?
「5メートル30からですかね。なかなか超えられなかったので……ここはかなり苦しみました。ただ、今言ったように大学1年で5メートル31を跳べ、2年で5メートル35を跳ぶことができました。そこから5メートル40に挑戦し続けたのですが、また跳ぶことができなくて。それを超えることができたのは大学3年の春ですね。そこから一気に5メートル51も跳ぶことができて、大幅に自己ベストを更新できるようになりました」
――6メートルは目標だと思いますが?
「そうですね。ただし、6メートルは簡単に跳べる高さではないので、まずはアジア記録(5メートル90)を超えたいと思っています。持ち記録は6メートル台を持っておいて、常に5メートル90を跳べるようになりたいです」
――世界記録(6メートル14)と自身の記録(5メートル75)の差をどう捉えていますか?
「あと40センチですか。まだまだですよね。10センチ伸ばすのも大変なので。今の自分じゃ全く届かないところだと考えています」
ライバルは自分、2020年でメダルが目標
「五輪でメダルを取って、親に渡してあげたいという思いが強くあります。選手としても、ほかの選手に尊敬されるような存在になりたいです。2020年に東京で五輪を開催できるか分からないですが、もし東京で開催できるのであれば、そこでメダルを取りたいと思っています。その時は28歳なので、ちょうど良い時ですよね。28歳を超えたら引退する人が多いので」
――荻田大樹選手(ミズノ)や澤野選手と良いライバル関係が築けていると思いますが、2人の存在をどう考えていますか?
「記録も近い2人なので、ライバルとは言えるんですけど……一番のライバルは自分自身だと常々考えています。自分に勝てないとほかの選手にも勝てないので。ただ澤野さんは海外経験が豊富ですし、勝負強い。彼に続くというよりも、常に勝ちたいという気持ちです。ただ、棒高跳を始めたときにはフォームとか、いろいろお手本にしていました」
――世界陸上の目標と意気込みを教えて下さい。
「やはり五輪で『記録なし』に終わってしまったのは悔しかったので、その経験を無駄にしたくないです。世界陸上では五輪と同じ選手が出てくると思うので、リベンジしたい気持ちが強いですね。自分の力を出し切って、8位入賞はしたいですし、ベスト(5メートル75)は更新したい。その延長線で、メダルも取りたいと考えています」
<了>
大学スポーツ総合サイトCSPark
http://cs-park.jp/