“萩野効果”が促す競泳・黄金世代の成長=世界水泳に見たリオ五輪への頼もしい道筋

折山淑美

瀬戸、メダル獲得は「萩野がいたからこそ」

大学で同部屋の萩野の活躍に刺激されてか、不調が続いていた山口(写真)にも復活の兆しが見えてきた 【写真は共同】

「この種目で金メダルを獲ることを目標にして、そのために多種目に出場したわけだけど、情けない。自由形に入った時点でだいぶ体にきていた。こういう舞台で自己ベストを出した大也が素晴らしいと思うが、自分も自己ベストを出していればしっかり優勝できた。まだまだ連戦をする体力がなかったということ」と萩野は反省する。

 それに対し、「今まで感じたことのない速さで泳げた」と喜ぶ瀬戸はこう言う。
「前半から積極的に行った公介についていったが、公介が隣のレーンにいたから日本で泳ぐように落ち着いて泳げたし、後半の平泳ぎからも、しっかりとラップを刻んでいける完璧な泳ぎができた。僕にとって公介の存在は大きい。この大会でも銀メダルを2個獲ってすごい活躍をしていたから、それが悔しいというか、自分ももっと頑張って最高のパフォーマンスをしたいと思っていた。ただ、僕も優勝は狙っていたけど公介の調子がものすごく良かったから、自分でも半信半疑だったというか……公介に勝って日の丸を揚げられたことは本当に幸福なことだけど、それは彼がいたからこそできたこと。真っ先に公介に感謝したい」

 こう話す瀬戸は、ラストで萩野と競っている時に「これなら一緒に表彰台へ上がれる」とうれしくなったという。それが彼とライバルであり、友だちでもあるようになってからの大きな目標だったからだ。
「それでもまだ記録は公介の方が上だから、今回でちょっと追いつけたかなという感じ。だから、これからは二人で切磋琢磨して、一緒に表彰台へ上がれるように頑張りたい」と言う瀬戸にとって、萩野は特別な存在でもあり、彼のおかげで金メダルが獲れたという気持ちも強いのだ。

山口に復調の兆し「突破口が見えた」

 それと同じように平泳ぎの山口観弘(東洋大)も、“萩野効果”で低迷から脱出する兆しをつかんだと言える。
 山口は競泳初日、午前中の100メートル平泳ぎの予選を20位で敗退。だが、萩野はその日、400メートル自由形でいきなり銀メダルを獲得し、その後も決勝進出を果すなどで注目を浴び続けた。

 そんな姿を見せつけられて、大学の寮で同室でもある山口も「負けてはいられない」と思ったのは当然のことだ。8月1日の200メートル平泳ぎ予選は泳ぎを立て直し、2分10秒17で5位通過を果たした。そして萩野が200メートル個人メドレーで2個目の銀メダルを獲得した後の準決勝では、2分10秒00とタイムを伸ばして決勝進出を果たしたのだ。
 翌日の決勝では7位に止まったが、2分9秒57と準決勝よりタイムを上げ「最低ラインのことはできた」と話した山口。「世界大会ではメダルを獲らないと評価されないので、決勝に残っただけでは何も残らない」と萩野の活躍を意識した発言もした。だが「この半年間(不調で)苦しんだが、短い期間でここまで持って来れたのは自信になると思う。これで少し突破口が見えたのかなと思う」と明るい表情を見せた。

 平井コーチは「あの3人は本当に刺激し合っていると思う。萩野が五輪で銅メダルを獲ってバーンと飛び出したら、次は山口が世界記録を出し、続いて瀬戸が世界短水路で優勝した。それで萩野が銀メダルを獲ると、今度は瀬戸が金メダルを獲得と、順番でやってるんですね。それで今度は山口が出てきてくれないかなと期待しているんです」と笑う。

 それぞれが、それぞれの喜びや悔しさや手応えを得たゴールデンエージの3人。彼らの切磋琢磨しながらの競り合いが、これからの日本水泳界の主柱をより太いものにしていくはず。それがこの世界水泳で見えたリオデジャネイロ五輪への頼もしい道筋だ。

<了>

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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