酒井友之が現役生活にこだわる理由=求められる東南アジアへの適応力
模索し続けた現役続行の道
現在インドネシアでプレーする酒井(左)。東南アジアに進出する日本人選手は増える一方だ 【元川悦子】
酒井が同国に渡ったのは2010年9月。ジェフユナイテッド市原(現千葉)、名古屋グランパス、浦和レッズ、ヴィッセル神戸と渡り歩き、負傷がたたって08年に戦力外通告を受けてから、彼は現役続行の道を懸命に模索した。09年は静岡県リーグ1部(当時)の藤枝MYFC(現日本フットボールリーグ=JFL=)でプレーした。同クラブとの契約が切れた後、サッカー人生を賭けて東南アジアの未知なる異国へ渡ったのである。
最初はジャカルタにあるスーパーリーグ所属のペリタ・ジャヤに新天地を見いだし、約半年間プレーした。ところが、11年2月に一方的に契約解除を言い渡される。監督交代に伴って、クラブ側がオーストラリア人とマレーシア人選手を補強し、外国人枠が埋まってしまったのだ。そこで代理人の協力を得ながら翌月からインドネシア東端にあるパプア島のペルセナ・ワメナを見つけ移籍。6月のシーズン終了まで戦った。しかしワメナとの契約延長はならず、翌シーズンに向けて再びクラブ探しに奔走した。11月のリーグ開幕直前に同じパプア島のソロンにあるペリシラム・ラジャアンバット入りが決まり、11−12シーズンは34試合すべてに出場した。
残留に貢献も続く契約解除
それでもサッカーへの情熱は衰えず、彼は昨年9月には再びインドネシアへ赴く。タイ移籍の可能性も模索するなど、あらゆる努力を重ねた末の12月末、デルトラスとの契約をようやく勝ち取ることができた。ジャワ島北東部のスラバヤから少し南に行ったシドアルジョはパプアよりサッカー熱も高く、環境も比較的いいという。
「インドネシアは芝が太くて土も固かったりするけど、僕らがプレーしているスタジアムは細い芝でピッチもしっかりしていて日本に近いですね。だけど練習の時はシャワーも浴びずに帰るのが普通だし、トレーナーが体のケアを入念にしてくれるわけでもない。僕はアパート近くの1時間500円のマッサージ店に週何回か通って、練習や試合の時は自分でバンテージを巻いてプレーしてます。ケガをしてもアイシング用の氷さえ用意されていないし、メディカルスタッフは満足いく治療もしてくれない。万全のサポート体制が当たり前の日本から見たら信じられないでしょうね(苦笑)。たくましくタフにやっていける力がないとこの国では厳しいと思います」と酒井は淡々とコメントしていた。