ドイツ移籍を決断した木下康介の葛藤=18歳での海外挑戦、日本の大きな光に
けがを抱えながら存在感を放つ
ユース最後の大会では満足できない結果に終わった。この悔しさをドイツでのプレーにも生かす 【安藤隆人】
だが、「正直、今はできる自信がないんです。まだ痛みがあって、動くと背中が張ってくるし、足の痛みもある。ベストなプレーができないんです」と、長引く負傷に焦りの色が隠せなかった。
「本来ならもっとボールに絡めるし、前線で張るだけじゃなくて、引いて組み立てにも関わるのに、それができなかった。ターンからのシュートも打てなかった」
それでも彼はこの試合で、大きな存在感を放った。運動量は少なかったものの、時おり見せる鋭い突破は、2人がかりでも止められなかった。26分には左からのクロスを、飛び込んで胸でシュート。これは相手GKのスーパーセーブに阻まれたが、188センチの体を投げ出して、しっかりとボールを胸でとらえての強烈なシュートは、彼の高い身体能力を感じさせるものであった。
そして69分、DFラインからのロングボールを胸で受けて、相手に背後から引っ張られるも、倒れ込みながら、左サイドに走り込んだ味方へピタリとパス。ここから先制点が生まれた。1−2で迎えた試合終了間際にはプレッシャーのかかるPKをキッチリ決めて同点に追いつくと、PK戦での勝利に大きく貢献をした。
不完全燃焼に終わったラストゲーム
0−0で迎えた後半、横浜FCユースはビッグチャンスを迎える。70分、木下が右からのクロスをヘッドで合せるが、これは右ポストを直撃する。結果的にこれが、彼の高校最後のシュートとなった。その2分後に失点し、0−1の敗戦。木下の3年間は幕を閉じた。
「ふがいない。けがは言い訳にはしたくはないけど……動けなかった。アップの時から動きづらさを感じていた。自分のプレーにスピードがないことが分かったし、スピードを上げようとすると痛みが来てしまった。全国大会でのベスト8は、ジュニアユースのころから破れなかった壁。これを越えられなかったのは、完全に僕の責任。力を出し切れなかった」
到底納得のいかない出来だったラストゲーム。不完全燃焼の彼は、表情をゆがめた。それと同時に、ある決意を見せていた。
「これからは自分でしっかりと決めたいと思います。本当に周りの反応や、意見はすごくあるけど、最後は自分で決めたい」
「こんな経験ができる人間は限られている」
だが、8月から悩み抜いた彼は、ユース最後となった試合後の段階で、すでに決断ができているように感じた。
「本当にこれまででいろんな経験をした。その中にはもちろん嫌なこともあったし、少し自分の中で思うところもあった。でも、こんな経験ができる人間なんて限られているし、すごくいい経験になったと思います」
この言葉には彼の多くの自己主張が詰め込まれていた。そして、この意思から1カ月半後、彼は高校卒業と同時に海を渡る決断を下した。
この決断は決して容易なものではなかった。しかし、心を決めた若武者の苦悩と覚悟は、将来の日本サッカー界の大きな光になるかもしれない。世界基準の大型ストライカーへの階段を上り始めた木下康介。その第一歩は、ドイツ南西部の都市・フライブルクから始まる。
<了>