長崎と讃岐はなぜ明暗を分けたのか<前編>=JFLから見たクラブライセンス制度

宇都宮徹壱

スタジアムの不備で泣かされ続けた長崎

V・ファーレン長崎の常務取締役、岩本文昭。J2ライセンス交付に大きく尽力した 【宇都宮徹壱】

 まず話を聞いたのは、V・ファーレン長崎の常務取締役、岩本文昭である。岩本は、クラブが設立された2005年に初代監督に就任。以後、総監督兼強化部長、事業部長兼総務部長を歴任し、09年に現職に就任した。もともと岩本は、地元地銀に勤める銀行員で、地域リーグ時代は職場の理解を得ながら監督業を続けていたが、やがて安定した職を辞して退路を断ち、クラブのJリーグ昇格のためにすべてをささげることを決意する。クラブのJ参入に、最も尽力したひとりであることは、関係者の誰もが認めるところであろう。

 岩本に再会したのは10月23日。この日はJFAハウスにて、大東和美Jリーグチェアマンによるヒアリングを受けることになっていた。すでに条件付きながらJ2ライセンスを交付されている長崎は、今季のJFLで2位以内を確保し、自動昇格もしくはJ2の22位チームとの入れ替え戦に勝利したうえで、Jリーグの理事会で入会が認められれば、晴れてJクラブとして迎えられることになっていた。ヒアリングを終えた岩本に、JFLでの4シーズンについて問うてみると、実感のこもった答えが返ってくる。

「勝負の世界の厳しさを与えてもらいましたね。チームの成績だけでなく、経営面も含めて、たくましさが求められるリーグでした。JFLはJリーグと違って、そんなにブランド力はありません。そんななか、お客さまにスタジアムまで足を運んでいただき、地域に支えていただくようなクラブになっていかないとならない。その重要性を教えていただいた4年間だったと思います」

 長崎が将来のJリーグ入りを表明したのは、今から7年前の05年のことである。時期的には、FC岐阜、ファジアーノ岡山、松本山雅FCなどとスタートはほぼ同じ。にもかかわらず、九州リーグで4年、JFLで4年と合計8年も足踏みを強いられてしまった。最初の4年は戦力面と武運の拙さによるものであったが、JFLでの4年はスタジアム問題に泣かされ続けた。

 九州リーグから昇格後、長崎はすぐにJリーグ準加盟となった。ところが、メーンスタジアムに予定されていた諫早市の県立総合運動公園陸上競技場は、14年の国体開催に向けて改修工事に入り、代替スタジアムの候補だった長崎市のかきどまり陸上競技場も、照明施設がないなどJ2基準を満たすものではなかった。こうした状況を踏まえて、長崎は昨シーズン、「昇格を目指さない」ことを宣言。「選手のモチベーションという意味でも、スポンサーや集客の面でも、非常に厳しいシーズンでしたね」と岩本は振り返る。

JFLの長崎にJ2ライセンスが交付された背景

 結果として長崎は、かなりの回り道の末にようやくJクラブの仲間入りを果たすこととなった。とはいえ、こうした回り道を余儀なくされたことで、長崎は経営的にもタフなクラブに成長したのも事実だ。逆にもし、長崎に最初からJ2基準を満たすスタジアムが存在していたなら、どうなっていただろうか。拙速にJ2に昇格したために、経営面で苦労しているクラブが現実に存在しているということは、やはり留意すべきであろう。

 長崎を苦しめ続けたスタジアム問題は、来年3月には使用可能のめどが立ったことで、今季は一気に昇格に向けて視界は開けた。Jリーグからは「確実な収入見込みを示す資料の提出」など、財務面での指摘は受けているものの、すでにJ2ライセンスを交付されており、あとはJFLで結果を残すのみ。結果として、今季のJFLに優勝して無条件での昇格を果たした。では、長崎にライセンスが交付された背景には、いったい何があったのだろうか。ここで本体のJリーグクラブライセンス事務局に長崎について率直な感想を直接質問してみた。

「長崎は岩本さんが、しっかり抜かりなく準備をしていて、制度が施行される2カ月くらい前からJリーグに『ここはどうしたらいいですか?』と、ひんぱんに質問にきていたんですね。もちろん、こちらもその都度、質問にお答えしました。それと九州のほかのJクラブにも出向いて、お互いに情報交換をしていたようです。初めてのオペレーションなので、お互いに試行錯誤の連続だったんですが、その輪の中に長崎は入ってきてくれました。逆に讃岐は、もうひとつグッと入ってこなかったというのが、こちらの認識です」

 JFLながらJ2ライセンスを交付されたことで、岩本も一定以上の手応えを感じているようだ。最後に、こんな印象的なコメントを残してくれた。

「もしも10年後、あるクラブがライセンスについて分からないとJリーグに相談してきたとき、『だったら長崎に視察に行きなさい』と言われるような、そんなクラブになりたいんですよね。今はまだ夢みたいな話ですが(笑)」

<つづく。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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