オリックスでよみがえる“いてまえ”魂

今季キャプテンとしてチームを引っ張る後藤光尊には“いてまえ”魂の継承者としての活躍が期待される 【オリックス野球クラブ株式会社】

 この夏も近鉄バファローズが復活する。今回のコンセプトは“劇的、激動の80’s”だ。オリックス・バファローズでは8月の5試合、1980年代の近鉄バファローズのユニホームを復活させ、過去の歴史を大いなるリスペクトをもって振り返り、そして先人たちが残した足跡をたどろうというイベントを開催する。当時の近鉄バファローズと言えば、“いてまえ打線”と呼ばれた超攻撃型野球で人気を博していた。そんな、“いてまえ野球”が、この夏よみがえるというのだから注目だ。

伝説の10.19

 1980年代の近鉄バファローズで真っ先に頭に浮かぶのは、あの“10.19”と呼ばれた激闘だろう。野球ファン歴の長いご同輩諸氏には今更、説明の必要はないはずだし、当時を知る由もない若い世代のファンは、これを機会に1988年10月19日、川崎球場でのロッテ対近鉄のダブルヘッダーを、文献なり映像でその詳細を知っておくべきであろう。長い日本プロ野球の歴史の中で、今でも色あせることなく輝きを放つ試合こそ、後世へと語り継いでいかねばならないはずである。

 1988年、パリーグのペナントレースは、時に黄金時代を謳歌(おうか)していた西武ライオンズと近鉄バファローズが優勝を目指してデッドヒートを繰り広げていた。シーズン中盤の段階では首位・西武と2位・近鉄とのゲーム差は最大8ゲームも開いていた。だが、シーズン終盤に入って近鉄は驚異の追い上げを見せて、運命の10月19日を迎えたのだ。10月22日から始まる日本シリーズを目前に控え、近鉄は地獄の15連戦を戦っていた。そして、迎えたラスト2試合が、あの運命のダブルヘッダーだったのだ。
 連勝すれば逆転優勝という状況で、近鉄は第1試合の接戦をものにした。勝てば優勝という一種の極限状態での試合は、見る者をとりこにした。近鉄が常にリードするも、ロッテが粘るという展開で、結果は痛恨のドロー。試合に負けずして、近鉄はシーズンの敗戦を迎えた。その時の近鉄ナインの涙は、球場を埋めたファンのみならず、テレビ(異例の緊急編成で中継された)の視聴者の胸を熱くしたのだった。

悲劇から歓喜へ…劇的な落差こそ近鉄的

 奇跡は起きなかった。だが、成就かなわぬトラジェディ(悲劇)だからこそ、この10.19は多くのファンを引きつけ、今なお、語り継がれているのであろう。人々の胸に刻まれたその様は、サッカー日本代表が味わった“ドーハの悲劇”と共通する。

 そして、川崎での失意と落胆は、1年の時間と、500キロの距離を隔てて、大きな歓喜に変わっていた。1989年10月14日。リーグ優勝を決めた藤井寺球場のマウンドで阿波野秀幸が全身で喜びを爆発させた。前年のシーズン最終戦で喫した痛恨の同点打に唇をかんだ男が見せた歓喜の表情はあまりにもドラマチックだった。優勝を決めた2日前の西武とのダブルヘッダーでは、ラルフ・ブライアントが4打数連続ホームランという離れ業をやってのけている。
 悲劇の翌年に、西武とオリックスがV争いに絡んだ史上まれにみる大混戦で、ペナントレースを制した近鉄。有り得ない事を実際に起こしてしまうこのチームが有する意外性が、今でも1980年代の近鉄に鮮やかな光を当てているのだろう。

いてまえ戦士、京セラドームに降臨!

“三色帽”と燃える赤が印象深い1980年代の近鉄のユニホームを身に付けた李大浩 【オリックス野球クラブ株式会社】

 西本幸雄監督のもと、優勝でスタートした近鉄の1980年代。西武が黄金時代を迎えようとしていた時代に、近鉄は常に東の獅子に角を振るう存在だった。“取られたら取り返す!”が、いつしか合言葉になっていった猛牛軍団。その豪快な野球を支えた、いてまえ戦士もまた、野性味溢れる個性的な面々で占められていた。そんな、かつてのバファローたちが、30年の時を経て京セラドーム大阪に、あの伝説を縫い付けたユニホーム姿で登場するというのだから楽しみだ。
 梨田昌孝、ラルフ・ブライアント、金村義明、山崎慎太郎、村上隆行。それぞれの名前にさまざまなシーンが交錯する。いずれも1980年代の近鉄を彩った魅力的な戦士ばかりだ。彼らはイベントの当日、京セラドーム大阪に駆けつける。あの燃える赤をコンセプトにデザインされた、近鉄のユニホームに身を包む姿を早く見てみたいと念じるのは筆者だけではないはずだ。特に、古くからの近鉄ファンにとっては思い入れの深いトリコロールカラーのあのキャップの復刻は感慨もひとしおだろう。思うに、キャップを彩った3つのカラーをトリコロールという横文字で表現するのは、当時の“いてまえ近鉄”には適切ではない。当時、多少の誇りと自慢めいた気持ちを込めて、猛牛党は皆、“三色帽”と呼んでいた。そう、断じて、近鉄の帽子はトリコロールキャップではなく、三色帽だったのだ。

セットアッパーとしてチーム最多の47試合に登板している平野佳寿 【オリックス野球クラブ株式会社】

 今回復刻される近鉄のユニホームは、1996年まで採用され続けた、いわば、超ロングランモデルで、大阪ドーム元年に合わせて採用された某有名デザイナーによる近鉄臭の薄いユニホームより、いてまえ軍団にマッチしていた。韋駄天(いだてん)・(大石)大二朗(現・大二郎)が駆け抜け、北海の荒熊・鈴木貴久が豪快に振り回し、プリンス・阿波野秀幸がマウンドで舞った1980年代。そして、次のディケードに移ってからは、後に海を渡る野茂英雄がこのユニホームでドクターKの名をほしいままにした。まさに百花繚乱、かつての猛牛戦士が身に着けていたユニホームが現在に復活するのだからこれは見逃せない。
 うずたかく積み重なった中から、過去のひと時をひもとくイベントが、この“LEGEND OF Bs”。今回のテーマは“劇的、激動の80’s”。1980年代の近鉄バファローズ。劇的という言葉がこれほど似合うチームは、後にも先にもほかに見当たらない。

<Text:大前一樹>

<了>
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