元祖ブログ力士・元普天王に聞く“これまで”と“これから”の相撲人生

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元祖ブログ力士としても人気を博した元小結・普天王、現・稲川親方が1月29日の引退相撲、そしてこれからの相撲人生を熱く語った 【(C)イープラス】

 普天王水(出羽海部屋/元小結/現・稲川親方)は1980年8月28日生まれ、熊本県玉名市出身。本名を内田水(うちだいづみ)という。
 初めて相撲に触れたのは小学校低学年の時だった。当時から身体の大きかった内田少年を見て、両親は「何かスポーツをやらした方がいい」と考え、相撲を始めさせたという。本人は「大会に出たらメダルをもらって、のぼせ上がってしまいました(笑)」と振り返る。

 力士になるのであれば1番を決める角界にできるだけ早く入った方がいいと考えた内田少年は、中学卒業と同時に入門しようとしていたが、「高校は卒業した方がいい」という両親の心配する声に促される形で、たくさんの力士を輩出している地元の文徳高校に入学。さらには名門・日本大学相撲部へと進み、アマチュア横綱にもなった。
 アマチュアで好成績を残した力士を優遇してデビューさせる幕下付け出しの制度で角界入りを果たし、出羽海部屋に入門。2003年1月に内田水の名で初土俵を踏む。わずか2場所で十両となり、普天王水に改名した。

 1年かけて入幕すると、2005年にはブログを開始し、大きな話題となった。同年5月場所では11勝4敗で敢闘賞を、続く7月場所では10勝5敗で技能賞をそれぞれ授賞。自身にとって最高位である小結にまで出世する。
 しかし、その後は苦しい闘いを強いられた。負傷の影響もあり、なかなか思うような相撲が取れない時期が続く。愚直に真っ向勝負を挑んでいたが、番付が安定せず、とうとう2010年には幕下に転落してしまう。それでも必死に前を向いたが、2011年の大阪場所が中止となったのをキッカケに引退を決意した。

 それに伴い、年寄・稲川を襲名することも決定。2012年1月29日(日)には両国国技館において『普天王引退 稲川襲名 披露大相撲』が開催される運びとなった。今回のチケットはイープラスでも取り扱っている。

 披露大相撲に向けて、普天王(現・稲川親方)はどんな気持ちでいるのか。現在の心境を聞いた。

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現役時代を一言で表すなら……やっぱり『真っ向勝負』ですね

真っ向勝負で挑みつづけた相撲人生、小結に昇進した2005年秋場所初日には横綱・朝青龍(左)を撃破した 【写真は共同】

――今回のタイミングで引退を決意した理由は何だったのでしょう?

「2011年大阪場所の開催中止が一番大きかったですね。その頃、私は幕下に落ちていたのですが、応援してくださる方もいらっしゃって、復活して番付を戻したいと願っていました。ですから次の場所が早く来て欲しかったのですが、それが中止となり2カ月に1回の場所が無くなって、そこで緊張した気持ちが途切れてしまいました。
 それがキッカケでしたが、こんな状態で土俵に上がるのは無理だし、気持ちが乗っていない状態で相撲をするのは、応援してくださる方々に失礼かと思いました」

――悔いはなかったのですか?

「それはないですね。自分の気持ちが途切れる前日まで一生懸命に稽古していましたが、決めた時は肩の荷が下りたというか、本当にスッキリして楽な気持ちになりました。もちろん申し訳ない気持ちもありましたが」

――最近のブログでは“現役時代の緊張感を思い出すと、気持ち悪くなる”と書いていましたが、それほどまで追い込まれるものなのですか?

「本当に追い込まれますよ。今は親方の仕事として本場所に行くのですが、自分の中に何も心労がないのです。逆に言うと、現役時代はそれだけしんどかったのだと改めて思います。命を削っていたと言ったら大袈裟ですが、それなりの覚悟で臨んでいましたから」

――他の格闘技であれば1カ月に1試合程度のペースですけれど、相撲の場合は15日間連続という特殊な部分がありますからね。1日だけならともかく、15日間常にMAXのテンションをキープするのは不可能でしょう。

「個人差があると思うのですが、15日間常に同じ精神状態で臨むことは無理でしょうね。嬉しいことがあれば気分が乗るし、悲しいことがあれば落ち込む。それは勝負でも同じです。どうしようもなくて気持ちが乗らない日だってありますから」

――それをコントロールすることが求められるのでしょうね。この8年間の現役時代を一言で表すとしたら、どんな言葉を選びますか?

「難しいですね。いろいろありましたから……。でも、“真っ向勝負”ですかね。自分のスタイルはまさに“真っ向勝負”を実践してきました。立合い変化をしたことはないし、とにかく勝てればいいというわけでもなく、自分のスタイルで勝って番付を上げたいとの思いが強かったですから」

――正直、これまでにも辞めたいと思ったことはありましたか?

「過去に1度だけありました。プロに入ってすぐですが、首を怪我してしまったのです。身体はボロボロで動かないし、それでも相撲は取らねばいけない。稽古も休めないし……本当にきつくて、周りには言いませんでしたけど。ただし、相撲が嫌いになったことはなかったです」

――小学生の頃からずっと気持ちは変わらなかったと。

「そうですね。好きなことを好きなだけやって来れたという幸福感、充実感があります。途中で脱落していく力士は多いと思いますが、私は7歳から始めて23年間ずっと好きなことを一生懸命やって来ました。それに関しては、支えてくれた人達に本当に感謝しています。ここまで好きなことをやれた人間ってなかなかいないと思いますから」

――辛いことや苦しいこともたくさんあったと思いますが、それでも“相撲が好き”と言えるなんて素敵なことですね。その分、いざ辞めることが決まった時はどんな風に感じました? 

「逆に言うと、相撲しかやったことがないから、何をしたらいいのか分からなかったのです。だから、これからが大変です。やりたいこと=相撲でしたから。今は、親方として部屋に残ることになりましたので後進を指導して、少しでもいい相撲をお客さんに見てらえたらなと思っています。引退相撲のこともありますし」

“もっと相撲を知ってもらいたい――”その使命感からブログを始めたのです

相撲協会が先頭に立ち積極的に情報を発信していくことが大事と、稲川親方は語る 【(C)イープラス】

――現役時代はブログ力士としても有名でした。ここまで話していただいたような素直な心境を、現役時代にブログで綴っていたことが人気の秘訣だったと思うのですが、なぜブログを始めようと思ったのですか?

「当時はまだブログ自体が広まり始めたばかりの時期でしたが、友人に“始めてみたら?”と提案されたのです。一般の方からすると相撲は格式高いイメージがあるじゃないですか。そこを越えて、見ていただくためのキッカケ作りになればと思って始めたのです」

――当時はまだ20代前半だったのに、それだけ“相撲を見てもらいたい”という意識が高かったのですね。

「これはもう、人との繋がりです。自分がいくら“こうしたい”と願っても、アイディアを出してくれる人が周りにいなかったら実現しなかったでしょうから。それはブログの件だけではないので、本当にいい仲間を持ったな、いい人達に巡り会えたなと思いますよ。良く“類は友を呼ぶ”と言うではないですか、日頃の自分の行いというか、自分の意識や生活、それらが、いろいろな方々を呼んでくるものと思っています」 

――それだけ気持ちの中に伝えたいことがあったと。

「そうですね。意識が高かったかどうかは自分では分かりませんが、自分たちがやっていることを見てもらいたい、少しでも伝えたいという気持ちが形になったのがブログだったと思っています」

――ただ、始めた当初は反発もあったのではないですか?

「いえ、それが何も言われたことがないのですよ。怖いぐらい全くなかったです。反対に“いいことをやっているな”と言ってくれる人が多かったです」

――場所中も連日更新されていましたが、やはり精神的に書くのがつらいこともありました?

「場所中は必ず更新していましたが、やはりしたくない時もありました。でも、使命感でやっていたところがありました。自分個人を見てもらいたいだけなら“どうでもいい”との気持ちになっていたかもしれませんが、相撲を知ってもらいたい、相撲に興味を持ってもらいたいという使命感があったからこそ続けられたと思っています」

――時には顔文字を使ったり、流行ったギャグを取り入れたりしていて、今読み返してみても、“何かを伝えよう”という思いがヒシヒシと感じられました。

「現役時代、ページビューが20万アクセスぐらいを保っていた時もあり、いい活動ができたなと思っています。興味付けになったと思うし、見てくれていることが自分の支えにもなって、アクセスが伸びている時は楽しくブログに取り組めました。今後は何か違う形で現役の人達が発信して欲しいなと願っています」

今後、伝統文化を伝えていくのであれば、相撲協会から発信しなきゃいけないのです

――今まで経験してきたことがこれからの活動にも活きてきそうですか?

「根底にはずっと“相撲を見てもらいたい”という気持ちがあります。むろん、まず自分が一番先にやらねばならないことは後進の指導です。指導した子たちが少しでもいい相撲を披露してお客さんに喜んでもらえたら嬉しいじゃないですか。そういう取り組みが少しでも増えるように指導していくのが今後の課題ですね」

――それと同時に相撲界から発信もしていくと?

「相撲協会の在り方として、“伝統文化を伝えていく”という意味では、もっとできることがあると思っています。今の時代、受け身ではなく自分たちから売り込んでいかねばならないのかと。以前なら“お相撲さん!”と向こうから寄ってきて戴けた時代もあったと思いますが、今は違います。だから積極的に活動していけば、そのぶん認知されるだろうし、盛り上がると思うのです。例えばこの前、慶應大学の藤沢キャンパスに行って、スポーツマネジメントを学ぶ学生たちに講義をしてきました。今回は知り合いから依頼を受けてやったのですが、そういうことも協会から売り込んでいけばもっとできると思うのです。
 若い世代はもちろんのこと、他の世代も対象にして発信していかねばという考えが自分の中にあります」

――ちなみにどんな講義をされたのですか?

「学生さんたちに“あなたがもし財団法人相撲協会の広報部に所属したら、どういう方法で相撲を広めていきますか?”という課題を出して、みんなに意見をもらいました。1年生から4年生までおよそ150人ぐらいの学生がいたのかな。まったく相撲に興味がない人に“どうしたら相撲を見たくなるのか?”を考えてもらうなんて、どんな意見が出てくるか楽しみじゃないですか。それをまとめて、そのまま協会に持っていこうかと思っています」

――新しい時代を迎えて、相撲業界も転換期に差しかかっているのですね。

「同じ人が考えていても、やはり同意見しか出てきません。他の人達に話を聞かなくても良かった時代がありましたが、今は、変わっていく必要があると思っています。
 相撲に限らず、サッカー、野球でも、お客さんの入りは厳しくなっていますが、相撲は特に苦戦しています。だから自分の方から動く必要があるのだと。いろいろな人と触れ合って初めて分かることもあり、今回の講義も物凄く面白くてやって良かったと思っています。こういう機会を増やしていきたいですね。知ってもらわないことには始まらないですから」

――守っていかなければならない伝統がある一方で、変化も求められる。難しい問題ですよね。

「方針をどうするかですね。例えば、相撲文化を伝えるだけならお客さんからお金を取る必要もないと思います。変な話、大きいスポンサーを得て、無料で相撲を見せる形でもたくさんの人達に伝わりますから。どこにコンセプトを置くかが問題だと思っています」

――やり方次第だと。

「はい。例えば老人ホームでお年寄りを相手にすると、相撲はすぐにわかるからとても喜ばれます。そういう活動をもっとしてもいいですし、さらにはファン感謝祭を実行して、そこで得た収益を被災地に寄付したらいかがかと。それって最高ではないですか。そのようにドンドン協会から発信していってもらいたいと思っています」

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