中島裕之、ヤンキース入り断念の理由と1年後の可能性
異国の環境適応には不安なし
「日本での生活は、最初の3カ月は難しかったね。すべてが、今までに見てきたものと違うから。だから、外国の生活やリーグにうまく適応するためには、心を開く必要がある。いろいろなものを受け入れて、学んで、そして楽しめばいい。まずは異文化を学んだよ。人々がどうやって暮らしていて、どういう社会があるのか」
なかなか語られることは少ないが、スポーツ選手が外国で活躍するためには当地の生活リズムや環境に慣れる必要がある。スポーツの前に、誰しも日常生活があるからだ。言葉の壁はもちろん、食事の内容や時間帯、コミュニケーションの取り方や距離感まで、日本と外国では大きく異なる。心を開けなかったため、実力はあるのに成功できなかった選手は実に多い。
この点で、中島は異国の環境適応に苦労しないはずだ。前述のシコースキーはマウンドでスリーアウトを取ると、ダッシュでベンチに帰ることをルーティンワークとしていた。中島はそんな姿をショートから追い掛け、「ダッシュで帰って俺を置いて行くな(笑)」と冗談でねぎらっていたという。また、昨年までロッテでプレーしていた金泰均が2010年に来日したシーズン序盤、中島は走者として出た一塁上で「今度、飯でも行こか?」と話し掛けていた。「同級生だからね」と話していたが、一般的な日本人選手ではなかなか考えにくい行動だ。
1年後の再挑戦に必要な実績とは?
中島が今回の決断を下した理由も、この点にある。
「代理人は、『この条件で行くなら1年待って、いろんな球団と話をした方が良いんじゃないか』と言ってくれましたね。挑戦できるときが来たら、挑戦したい。今年はそのタイミングじゃなかったのかなと思います」
現在、中島は29歳。1年後のメジャー挑戦でも、決して遅くはない。昨年9月下旬、左肩を痛めながら打撃で結果を残していた中島に対し、師匠格の土井正博ヘッドコーチがこんな話をしていたことがある。
「痛いながらに打てているのは、力が抜けているから。悪いときは目いっぱい振っている。そっちの方がボールは飛ばない。あのコツを知ってくれたら、ホームランが30本にいく。バットのヘッドの応用、テコの応用だね。ヒットを打つコツは知っているから、それをうまく利用してほしい。要求しているのは3割、100打点、30ホームラン、30盗塁。そうすれば、日本で押しも押されもせぬスーパースターになれる」
2011年シーズンは144試合にフル出場して打率2割9分7厘、100打点、16本塁打、21盗塁。1年後、土井コーチの求めるレベルに達し、控え扱いではなく、日本のスーパースターとしてメジャーに挑戦してほしい。
<了>