浅田真央を変えた佐藤コーチの信念=トリプルアクセル回避でつかんだスピード感

野口美恵

スピードのある助走で踏み切る、質の高いジャンプ

SPでは冒頭のトリプルアクセルが1回転半になったが、それ以外の要素をまとめ3位スタートを切った 【坂本清】

 2人はこのオフシーズン、スケートを基礎から改革した。佐藤コーチが毎日繰り返したのは、「スピードに勝る魅力はない」。では、なぜスピードが必要なのか。これは『ジャンプの質』と『演技全体の魅力』の2つの面につながる。

 まず、ジャンプの出来栄え(GOE)加点の要件には「ディレイドの回転」「高さ、距離が十分」「入りから出までの流れが良い」というものがある。「ディレイドの回転」とは、空中に上がってから回転し始める、滞空時間が長く雄大なジャンプのこと。「入りから出までの流れ」は、助走も着氷後もスピードがあるジャンプのこと。総合すれば、助走でスピードがあり、高く大きく飛躍して、スピードのあるまま着氷する――。それがGOEで加点をもらえるジャンプなのだ。
 浅田のように器用な選手は、助走で勢いを殺しても3回転を回ることができるが、パワーが無く加点の付かないジャンプになってしまう。だからこそ、佐藤コーチが浅田に求めたのは、スピードのあるジャンプだった。
 しかし、急にスピードを出すと、空中での移動が大きいために身体コントロールが難しくなる。踏み切りのタイミングや、空中で体を締めるタイミングや強さが、非常に精密になるのだ。昨シーズンは、この新しいタイミングをつかむことに苦労し、ジャンプの不調に陥っていた。

 そしてこのオフにしっかりと練習量をこなした浅田は、今シーズン初め、「スピードを出すとタイミングが狂う事がありましたが、先生と試行錯誤してきて、今の時点では大分スピードも出て、ジャンプのリズムも乱れなくなってきています」と確かな手応えを得ていた。

観客を引き込む、スピードのある演技

 さらに演技面でもスピードは必要だ。
 浅田は言う。「私自身は、バンクーバーオリンピックの頃はスピードの事を考えていませんでした。やっぱりジャンプが大事だって思っていたから」
 バンクーバーオリンピックまでの2年間は、タチアナ・タラソワコーチに師事したものの、タラソワ不在のまま日本で練習する時間が長かった。ましてロシア語のコーチとは、細かい話ができない。浅田は、本来のスケートそのものを年配者から学ぶ機会が無かったのだ。

 だからこそ、佐藤コーチは毎日オウムのように、「スケートの一番の魅力はスピード」と繰り返した。上半身が上下しない、滑らかで、自然にスピードが出るようなスケーティングが理想形だ。
 すると7月のアイスショー「THE ICE」で変化の兆しが現れた。流れるような伸びのあるスケーティングで『ジュピタ』を披露した浅田。蹴って進むのではなく、足数を最小限に抑えながら、伸びのあるスケートで音楽に溶け込んでいった。会場の空気が神聖なものへと変わり、浅田に吸い込まれていくような演技だった。

「先生に言われることで、自分も感じ取れた事があるんです。スピードがないとお客さんは『頑張れ頑張れ』って気持ちで見てしまう。でもスピードがあると、お客さんが滑りに見入って、演技に引っ張られていく。それが分かりつつあるんです」

NHK杯、SP「トリプルアクセル以外で取りこぼさない」

 そしてシーズン初戦となるNHK杯を迎える。すでに3回転ジャンプには手応えを感じていたが、トリプルアクセルはまだ回転が足りていない感覚があった。
 SP前の6分間練習。佐藤コーチの言葉は、いつも通り「通常なら回避。でも練習はしっかりやってきたから。あとは自分で決めなさい」だった。浅田は「トリプルアクセルには挑戦して、もし失敗しても他の部分で取りこぼしの無いように滑ります」と約束した。
 結果、トリプルアクセルは1回転半になったものの、残るジャンプ、スピン、ステップを見事にまとめる。鈴木明子(邦和スポーツランド)とアリョーナ・レオノワ(ロシア)に次ぐ3位発進だった。
 「シーズン初戦としては、まずます。オフにしっかり練習できていたので自信もありました」と笑顔を見せた浅田。実力からすれば、100点とは言えない成績だったが、彼女自身は満足していた。

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著者プロフィール

元毎日新聞記者、スポーツライター。自らのフィギュアスケート経験と審判資格をもとに、ルールや技術に正確な記事を執筆。日本オリンピック委員会広報部ライターとして、バンクーバー五輪を取材した。「Number」、「AERA」、「World Figure Skating」などに寄稿。最新著書は、“絶対王者”羽生結弦が7年にわたって築き上げてきた究極のメソッドと試行錯誤のプロセスが綴られた『羽生結弦 王者のメソッド』(文藝春秋)。

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