ペトロビッチ激白「わたしが浦和を去った理由」=浦和レッズ前監督インタビュー

浦和に望むのはクラブそのものが普通に機能すること

ペトロビッチはともに戦った選手たちのことを決して忘れていない。特に、お気に入りの原口(左)に対しては「本当に感謝している」と強調した 【写真:望月仁/アフロ】

――そもそも、就任当初はオランダスタイルを目指していたようだが、それが実現しなかった。なぜだろうか?

 戦術だけを語れば素晴らしいものだった。唯一の問題は、先ほども話したが、最後にゴールする選手がいなかったことだ。世界のどのクラブを見渡しても、30試合を終えてFW陣が数得点というのはあり得ない。どんなフォーメーションで試合に臨んでも、得点を奪えなければ全く意味がないんだ。

――ゴールを奪えるFWがチームに必要だと話しているが、あなたの考える理想のFW像とは何か教えてほしい

 世界的なストライカーを求めていたわけではない。わたしは当初、J2のザスパ草津で活躍していたFWラフィーニャの獲得を望んでいたが、クラブから許可が下りなかった。結局、ラフィーニャはG大阪へ移籍してしまい、その後はわたしの予想通り、十分な活躍を見せている。ほかにも2人ほど名前を出したが、すべてクラブから拒まれてしまった。逆にエジミウソンを中東へ売り飛ばして、わたしが望んでもいない選手を連れてきた。なぜなのか。それは今でも理解できない。

 もう一度言うが、世界トップクラスのFWなんて必要なかったんだ。1シーズンに10〜12得点を奪えるFWで十分だった。そういった選手の存在が若手を刺激させ、チームは成長していくんだ。来シーズンを見越して、強化プログラムを作成していたが、今となっては無駄に終わってしまった。わたしが浦和に対して望むのは、クラブそのものが至って普通に機能すること、そして適切なスカウティング能力を備えることだ。クラブ批判はしたくないが、浦和が真の強豪クラブになるために必要なことだ。

――梅崎司、山田直輝をあまり起用しなかったように見受けられたが、何が問題だったのか?

 梅崎に関して言えば、彼は長年けがに悩まされて苦しいシーズンを過ごしてきた。たとえ復帰したとしてもわずかなプレーで終わり、再びコンディションを崩していた。わたしは彼には万全の状態で試合に臨んでほしかったんだ。2年間もろくにプレーできなかった選手の気持ちを考えると胸が苦しくなるが、まずは100パーセントのコンディションに戻すことが何よりも優先されるべきことだった。梅崎とは直接話し合いの場を設けたし、彼はわたしの考えを理解してくれたよ。

 一方の直輝は途中出場も含めればそれなりに試合に出ていた。U−22日本代表に招集されている時は試合に出場できなかったが、コンスタントに出ていたはずだ。梅崎同様に直輝とも何度も話し合った。ある時、彼を右サイドに配置したら「直輝はトップ下の選手だ」と誰かが声を荒げた。それで、トップ下に配置したら今度は「なぜ右サイドじゃないんだ」と言われた。わたしは、直輝が右サイドか、トップ下の選手かなんて興味はない。なぜポジションを決めなければいけない? 本人はわたしを理解していたから問題は全くなかった。わたしがクラブを去る時、彼はわざわざあいさつにやって来たんだ。わたしのことを最後まで理解してくれたのだと、今でもそう思っている。

最後まで戦ってくれた選手に感謝の言葉を送りたい

――クラブに対して何か言いたいことはあるか?

 わたしは浦和を偉大なクラブにするために、4、5年間の長期的なプランを持って監督に就任した。チームがアジアの中のバルセロナになるためには時間がかかるが、不可能なことではない。しかし、ここ数年の浦和を見ていると、長期的なプランを持つことを拒んでいるようだ。それは(田中マルクス)闘莉王を名古屋に、阿部勇樹をレスターに、細貝萌をアウクスブルクに、長谷部誠をボルフスブルクに移籍させたことからも分かる。ポンテ、エジミウソンも去った。高原(直泰)、小野(伸二)は清水エスパルスでプレーしている。

 わたしは若手選手とともにチームを成長させることを決意した。ただ、彼らだけで上位進出ができるほどJリーグは簡単ではない。不足している部分は新戦力で補うつもりだった。しかし、残念ながら実現することはなかった。
 今回、わたしとクラブの間で起きたことをサポーターに説明するのは難しい。ビッグクラブを率いることは大企業を率いることとはわけが違う。浦和はサッカークラブ。日本の大企業をうまく経営できたとしても、サッカークラブとなればまた別の話だ。

――選手、サポーターに向けてメッセージをお願いしたい

 わたしとともに最後まで戦ってくれた浦和の選手たちにあらためて感謝の言葉を送りたい。すべての選手が真のプロフェッショナルで、わたしの要求に答えようと必死に努力して、自分の持ち得る可能性以上のものを出してくれた。また、どの監督にもそれぞれお気に入りの選手がいるものだが、わたしの場合は原口がそのうちの1人だった。原口は今の浦和を救う男。そして類いまれなファイティングスピリットの持ち主だ。彼には本当に感謝している。これだけはぜひ言っておきたい。
 ほかにも、難しい状況を乗り越え素晴らしいプレーを見せてくれた柏木、若手の直輝、濱田、(高橋)峻希、また平川(忠亮)、(鈴木)啓太といったベテラン選手、さらにベンチに入れなかった選手たちとともに過ごした時間はかけがえのない思い出となった。

 浦和のサポーターは世界ナンバーワンだ。世界のどこを見渡しても、彼らほど素晴らしいサポーターは存在しない。浦和がビッグクラブになれたのはすべてサポーターのおかげ。クラブに携わる人間はこのことを決して忘れてはいけない。

――今後のプランは? 監督として再び日本へ戻りたいと思っているか?

 明日にでも監督になれるのならそうしたいくらいだ。わたしはまだ若い。監督業を続けたいし、サッカー界で生き続けたいと思っている。わたしの人生はサッカーそのものだ。すぐにでもチームを率いて、再びピッチの上に立つことを願っている。

<了>

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著者プロフィール

1961年2月13日ウィーン生まれ。セルビア国籍。81年からフリーのスポーツジャーナリスト(主にサッカー)として活動を始め、現在は主にヨーロッパの新聞や雑誌などで活躍中。『WORLD SOCCER』(イングランド)、『SID-Sport-Informations-Dienst』(ドイツ)、日本の『WORLD SOCCER DIGEST』など活躍の場は多岐にわたる

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