真夏の大阪に“いてまえ軍団”が復活!=蘇る近鉄の野武士魂
レジェンドイベント第2弾は近鉄バファローズの復活
T−岡田には“いてまえ軍団”の継承者として大暴れが期待されている 【オリックス野球クラブ株式会社】
1970年代といえば、それまでは優勝争いとは無縁だった南大阪のローカル球団が強豪チームへの変貌を遂げようとする、近鉄球団にとっては、いわば“過渡期”とも言える時期。阪急ブレーブス黄金時代の基礎を築いた、闘将・西本幸雄が、近鉄というチームを大きく変えた時代である。この夏、40年もの昔が、大阪と神戸のスタジアムに忠実に再現され、あのころの近鉄が蘇る。
あの象徴的ユニホームが復活!
ユニホームも時代の潮流に合わせるように、その素材は伸縮性に富むニットとなり、色としては鮮やかな赤が採用された。しかも、その赤という色が肩袖の部分に配されたのが斬新だった。これは当時、米大リーグのアトランタ・ブレーブスのユニホームデザインを模したもので、アトランタの青を赤に置き換えたものであった。実は、このユニホーム、後にマークやベルトの形状においてマイナーチェンジが施されるものの、20年以上もの長きにわたって採用された、超ロングランのデザインなのだ。そんな、近鉄の象徴とも言えるユニホームが今に蘇るのだから、この機会を見逃す手はない。
芽生え始めた“いてまえ魂”
個性の強いメンバーは、“野武士軍団”というたとえがピッタリだった。そして、この70年代は、後に強豪・近鉄の主力となる選手達が、プロのキャリアをスタートさせた時期でもあった。斬り込み隊長の平野光泰、西本監督の鉄拳制裁に応えた羽田耕一、フルスイングでスタンドを沸かせた栗橋茂、マスクをかぶっているのが惜しいくらいのイケメン捕手・梨田昌隆などなど。次世代のスター達が着々と力を蓄えていた時代だった。このころから、近鉄の代名詞である“いてまえ野球”というスピリッツが、徐々に醸成され始めてゆく。
野武士軍団で異彩を放った、元祖“甲子園アイドル
1970年代の近鉄のユニホームに身を包んだ岸田 【オリックス野球クラブ株式会社】
彼の甲子園で力投する映像には、いつも舟木一夫の「涙の敗戦投手」という歌が重ねられていたことを、オールドファンなら記憶に留めているだろう。甘いマスクで人気を博した甲子園の星、太田の入団が、近鉄球団の名を全国区に押し上げたのだが、“河内のおっさん”の社交場であった藤井寺や日生に、“コーちゃん”ギャルが連日押し寄せる光景は、当時としては異様なものであったに違いない。70年代の近鉄球団が持つ横顔は実にさまざまで面白い。
近鉄レジェンドの復活を見逃すな!
綿々と連なる球団ヒストリーへのリスペクトは野球そのものへのそれであり、往昔の球団像の一部を現代のファンに伝えることは、伝統の上に成り立つ“今”の球団の義務でもあるわけだ。転じて言えば、そんな歴史を学び、知るという権利をファンは有していることになる。“Legend of Bs〜蘇る黄金の70’s〜”、今回のテーマは“蘇る野武士魂”。さぁ、歴史のお勉強だ!
<了>
<text by 大前一樹>
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