新体制のインテルに長友のポジションはあるか?=3−4−3システムを用いる新監督ガスペリーニ

ホンマヨシカ

レオナルドの後任はビエルサでもビラス・ボラスでもなく……

インテルの新監督は紆余曲折を経て、ガスペリーニ(写真)に決まった。ジェノア時代は超攻撃的な3−4−3システムで話題を呼んだ 【Getty Images】

 7月に入り、セリエA各クラブの新シーズンに備えての長期合宿が始まった。来季のセリエAは、20チーム中半分以上の11チームが新監督で迎える。その中で突然の指揮官辞任が浮上して、関係者やティフォージ(イタリア語で「熱狂的なファン」)を驚かせたのが、インテルの監督交代劇である。

 その最初の動きを伝えたのは、6月14日の『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙。同紙は、インテル会長マッシモ・モラッティが、昨年のワールドカップ(W杯)までチリ代表チームを指揮していた、アルゼンチン人監督のマルセロ・ビエルサと接触していると伝えている。新シーズンは、レオナルド体制で臨むものと信じられていただけに、誰もがこのニュースに首をかしげた。ただ、この時点では「監督のレオナルドをインテルのディレクターに起用するために、監督候補を物色しているのではないか」との見方が強かった。そのレオナルドが、現役時代に在籍したことがあるパリ・サンジェルマンから、高額の契約金でGM(ゼネラル・マネジャー)就任の誘いを受けたことが明るみになったのは、それから数日後のことである。

 かくして、ビエルサのインテル監督就任はほぼ確実と思われたのだが、ビエルサ本人が「家庭の事情」を理由に監督就任を辞退。そのため、インテルの後任監督選びは混迷する。FCポルトをヨーロッパリーグ王者に導いたポルトガル人監督のビラス・ボラス(その後、チェルシーの監督に就任)に始まり、フィオレンティーナの監督シニシャ・ミハイロビッチ、現イングランド代表監督ファビオ・カペッロら、何人もの監督にアプローチするも成功に至らず。結局、新監督に迎えたのは監督候補の中でもダークホース的存在だった元ジェノア監督のジャン・ピエロ・ガスペリーニだった。

 もともとモラッティは、国際舞台での経験が豊富な監督を迎えたかったようで、ガスペリーニの監督就任に対して躊躇(ちゅうちょ)していたという。そんな彼の背中を押したのは、長男でインテルの副会長職にあるアンジェロ・マリオ・モラッティだったようだ。そして(これは単なる僕の想像だが)、会長の決断を促した要因として考えられるのが、昨シーズンにミランがマッシミリアーノ・アッレグリを監督に招へいしたことである。アッレグリは国際的な舞台での経験がなく、地方クラブのカリアリを指揮していたのだが、ミランの監督就任1年目でスクデット(セリエA優勝)をインテルから取り戻した。こうしたライバルの成功も、少しは影響を与えたのではないだろうか。

ジェノア時代に超攻撃的な3−4−3システムで注目を集める

 ガスペリーニの経歴に少し触れておこう。1958年1月26日生まれの53歳。ユベントスのプリマベーラ(ユース)出身で、コッパ・イタリアの数試合に出場しているが、ユベントスの選手としてリーグ戦での出場はなかった。その後、レッジャーナやパレルモなど、セリエBのクラブを中心に渡り歩き、87―88シーズンにペスカーラの選手としてセリエAデビューを果たしている。

 監督としては、選手時代同様にユベントスの下部組織(プリマベーラを含む育成チーム)で94年にキャリアをスタート。ここでプリマベーラのチームを、著名なビアレッジョの国際トーナメントで優勝に導くなどの成果を残し、セリエCのクロトーネの監督に就任。チームをセリエB昇格に導く。そして2006―07シーズンには、当時セリエBだったジェノアの監督に就任し、1年目でセリエA昇格させたことで、ガスペリーニの名は全国に知られるようになった。

 ジェノア時代のガスペリーニが好んで用いていたのは3−4−3。この超攻撃的なシステムを採用することで、ジェノアは「セリエAのクラブで最もスペクタルなカルチョ」との評価を受け、ジェノアーニ(ジェノアのファン)だけではなく、すべてのティフォージを魅了した。もっとも、試合内容の素晴らしさに比べて結果が伴わず、10−11シーズン途中で成績不振を理由に解任されている(最終順位は10位)。

 ガスペリーニの監督就任について、多くのインテリスタたちは評価しているようだ。しかし、彼の用いる3−4−3という攻撃的なシステムに、不安を覚えるティフォージも少なからずいる。確かにジェノアはゴールも量産したが、失点も多かった(45得点/47失点)。だがガスペリーニは、3−4−3に拘泥(こうでい)するシステム原理主義者というわけではない。確かに3−4−3をベースにしたカルチョを目指しているが、練習では4バックも指導している。実際ジェノアでは、試合中に最終ラインを3バックから4バックに変更することも少なからず行っているのだ。

1/2ページ

著者プロフィール

1953年奈良県生まれ。74年に美術勉強のためにイタリアに渡る。現地の美術学校卒業後、ファッション・イラストレーターを経て、フリーの造形作家として活動。サッカーの魅力に憑(つ)かれて44年。そもそも留学の動機は、本場のサッカーを生で観戦するためであった。現在『欧州サッカー批評』(双葉社)にイラスト&コラムを連載中

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント