鈴木聡美が女子50m平泳ぎで日本新=競泳国際大会代表選手選考会 2日目

岩本勝暁

午後4時39分。女子50m平泳ぎ決勝

競泳世界代表選考会第2日、女子50メートル平泳ぎを31秒40の日本新で制し、笑顔を見せる鈴木聡美=浜松市総合水泳場 【共同】

 くもりのち晴。まるで会場となった浜松の天候を象徴するかのように、女子平泳ぎのエースにとびきりの笑顔が戻ってきた。
 前日の100m平泳ぎは不満の残る内容だった。1位でゴールし、派遣標準記録も突破(1分07秒68)しながら、タイムは自身が持つ日本記録(1分06秒32)に1秒以上も届かなかった。ストロークと呼吸のリズムが合わず、本来の伸びのある泳ぎができない。焦りもあった。
「周りから泳ぎが硬かったと言われました。腕のかきとキックのタイミングがよければ水面を滑るような泳ぎができるのに、それがうまくいかなかった」
 鈴木聡美(山梨学院大)はミックスゾーンで淡々とレースを振り返った。その表情からは、いつもの笑顔が消えていた。

 一夜明けて行われた大会2日目の50m平泳ぎ。予選のスタート台に立った鈴木に、前日までの重苦しい空気はなかった。31秒78の好タイムでトップ通過。タフな精神力が、潜在能力を引き出した。
「終わったことはどうにもなりません。50mに向けて気持ちを切り替えようと自分でも思っていたし、神田(忠彦)コーチからも言われました。終わったことは忘れて、今日の50mでしっかり記録を狙っていこうと決めました」

 決勝が始まるまでの6時間も、鈴木は有効に活用した。ウォーミングアップが始まるまでは、テレビや学校の話題で友人と盛り上がった。好きなポルノグラフィティを聴きながらリラックスした。
 午後4時39分。女子50m平泳ぎの決勝。場内に名前がコールされると、鈴木はカメラに向かってガッツポーズを見せた。プールサイドを歩きながら、スタンドに向けて笑顔を振りまく。スタート台の前に立つと、右手で右胸をトントントンと3回たたいて気合を入れた。

2年連続3冠に向けて

 号砲と同時に会心のスタートを切った。リアクションタイムは8人の中で最短の0秒59。昨年から変えた水中動作で、早くもリードを奪った。
「入水してからの『ひとかき、ひとけり』の動作が、遅れている印象がありました。これまで水をひとかきしてからドルフィンキックを打っていたのを、先にドルフィンキックを打つように変えたんです。その動作を身につけるために、一生懸命頑張ってきました」
 25m付近で頭ひとつ抜け出すと、その後も大きなストロークで先頭に立った。スピードに乗り、粘る金指美紅(KONAMI海老名)の追随を許さない。ゴール後に電光掲示板を見ると、小さなガッツポーズで喜びを表した。2年前の日本選手権で田村菜々香(きらら山口/当時)と野瀬瞳(大野城SC/当時)が打ち出した日本記録を100分の1秒上回る31秒40で1位に入った。
 持ち前の伸びのある泳ぎだった。ストロークの数は、50mで18〜19回。昨年から腕のかきを意識して練習することで上半身のパワーアップを果たした。ケガの光明もあった。股関節を故障したことで、必然的に上半身の強化に集中できたのだ。「年々、増えています」と笑う体重は、厳しいトレーニングの証。身にまとった筋肉の鎧が、鈴木のダイナミックな泳ぎを生み出した。
「派遣標準記録Iの31秒00には届きませんでしたが、それ以上に日本記録を上回ることができてうれしい」
 前日に見せた不安の表情は、晴れやかに輝いていた。
「笑顔を作ることで気持ちを和らげて、自分のレースがしっかりできる状態に持ち込みたい。緊張して怖いという不安もあるけど、昨年と同じように3種目とも1位を狙うという強い気持ちを持って明日の200mに臨みます」
 世界と戦う準備は整った。大会最終日は派遣標準記録の突破をかけて200m平泳ぎに出場する。その先についてくるのは、2年連続3冠という大きな勲章だ。

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1972年、大阪府出身。大学卒業後、編集職を経て2002年からフリーランスのスポーツライターとして活動する。サッカーは日本代表、Jリーグから第4種まで、カテゴリーを問わず取材。また、バレーボールやビーチバレー、競泳、セパタクローなど数々のスポーツの現場に足を運ぶ。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント