明暗を分けたミラノ・ダービー=インテルの誤算、長友の課題

ホンマヨシカ

最高の状況で迎えた176回目のミラノ・ダービー

ダービーはパト(左)の2ゴールなどでインテルを下したミランに軍配が上がった 【Getty Images】

 セリエAカンピオナートで通算176試合目となるミラノ・ダービーが2日に行われた。今シーズンのカンピオナートはイタリアクラブのチャンピオンズリーグ(CL)やヨーロッパリーグでの不振もあり、盛り上がりはいまひとつ。しかし、終盤に差し掛かり、CLでバイエルンを倒して唯一ベスト8に勝ち残ったインテルが、カンピオナートでも首位ミランとの差を2ポイントと縮めた(第30節終了時点)。その後ろには、インテルから1ポイント差でナポリが続き、さらにディ・ナターレとサンチェスの強力2トップを軸に連勝を重ねるウディネーゼがすきをうかがうという、目が離せない状況になっていた。

 かくして、今回のダービーマッチは8試合を残して2ポイント差で迎えるという最高の状況で迎えた。イタリアカルチョ観戦歴37年目になる僕の記憶にも、頂上対決でダービーマッチ迎えるというシーズンはなかったように思ったのだが、調べてみると1992−93シーズンも7試合を残して両チームが4ポイント差(首位ミラン、2位インテル)だった。この時は1−1の引き分けで終了。ミランが最終日まで4ポイント差を維持してスクデット(セリエA優勝)を獲得している。
 どうして記憶に残っていなかったのか考えてみると、恐らくファン・バステン、ライカールト、フリットのオランダ勢がまだ健在だったミランに比べ、インテルはマテウス、ブレーメ、クリンスマンのドイツ勢が既に退団しており、それほど強いという印象を抱いていなかったからだと思う。

 僕のイタリア人の知り合いには両チームのティフォージ(熱狂的ファン)が多くおり、散歩中に出会うと、自然と話題がダービーマッチになる。その中の1人に、家族親戚全員がインテリスタで、ジュゼッペ・メアッツァ(1920年代後半〜30年代に活躍したストライカー。インテル、ミランなどでプレーし、両チームのスタジアムにはその名が冠されている)のプレーも見たことがあるというという70歳も半ばに差し掛かるおじさんがいる。
 彼は、子供のころにサンシーロ(=スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ)で観戦した忘れられないミラノ・ダービーを熱い口調で語ってくれた。49年の11月6日、前半を3−4でリードされていたインテルは後半に逆転し、6−5で勝利した。インテリスタにとっては何とも痛快な試合だっただろう。少年に戻ったように目を輝かせて語るおじさんの話を聞いていると、映画『フィールド・オブ・ドリームス』のように、まるで伝説の選手が目の前に現れたかのように思える。伝統のあるダービーだが、今回ほど両チームのティフォージから熱い視線を浴びた試合も珍しい。

イブラヒモビッチを欠いたミラン、ルシオ不在のインテル

ミラニスタからは『最後の晩餐』のユダにレオナルド監督をなぞらえた横断幕が掲げられた 【photo by ホンマヨシカ】

 戦前の予想では、イブラヒモビッチを欠くミランの方が、ルシオを欠くインテルよりもハンディが大きいと見られていたのだが、ふたを開けてみれば、3−0でミランが完勝した。
 ミランサポーターは試合開始前のパフォーマンスで、裏切り者のユダだけをブルーで囲んだダ・ビンチの『最後の晩餐』の絵の下に、「インテリスタのユダ」と書かれた巨大な横断幕を広げ、かつてミランを指揮したインテル監督のレオナルドを非難した。

 首位を走るミランは、第29節のホームでのバーリ戦に引き分けただけではなく、イブラヒモビッチがレッドカードを受けて3試合の出場停止処分を受けた(再審査で2試合の出場停止に減刑)。続くアウエーでのパレルモ戦では、イブラヒモビッチ不在の影響が顕著に表れ、ほとんどゴールチャンスを作り出すことができずに0−1で敗戦。不安要素を抱えたまま、ダービーを迎えた。

 一方のインテルはディフェンス陣に問題を抱えていた。第30節ではレッチェの堅く閉ざした守りに苦戦を強いられながらも1−0で勝利したが、守備の要のルシオが累積警告を受け、ダービーを欠場することになった。さらに、ひざの故障でレッチェ戦を欠場したラノッキアと、右足ふくらはぎの故障を抱えるキブーもミラン戦への出場が微妙な状態だった。結局、ラノッキアとキブーは何とか回復し、守備陣の欠場はルシオだけにとどめられたのだった。

 ミランはトップにスピードのあるパトとロビーニョを置き、ダイヤモンド型の中盤には、トップ下にボランチ気味のプレーをするボアテング、左右サイドにセードルフ(左)とガットゥーゾ(右)、ディフェンスの前にファン・ボメルを配置。最終ラインは今シーズン最少失点のミランを支えるチアゴ・シウバとネスタ、サイドバックにアバーテ(右)とザンブロッタ(左)、GKにアッビアーティという、バランスを重視した4−3−1−2という布陣で挑んだ。
 対するインテルは、前線にパッツィーニ、左右にエトーとパンデフを配し、トップ下にスナイデル、中盤にチアゴ・モッタとカンビアッソ、ディフェンスの中央にラノッキアとキブー、サイドバックにマイコン(右)とサネッティ(左)、GKがジュリオ・セーザルという顔ぶれ。逆転首位を狙っての4−2−1−3に近い攻撃的なフォーメーションを採用した。

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著者プロフィール

1953年奈良県生まれ。74年に美術勉強のためにイタリアに渡る。現地の美術学校卒業後、ファッション・イラストレーターを経て、フリーの造形作家として活動。サッカーの魅力に憑(つ)かれて44年。そもそも留学の動機は、本場のサッカーを生で観戦するためであった。現在『欧州サッカー批評』(双葉社)にイラスト&コラムを連載中

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