長友のインテル移籍の衝撃と先駆者・中田

ホンマヨシカ

中田と長友の移籍の衝撃の違い

左サイドを駆け上がってチャンスを作った長友。定位置を獲得できるか 【写真:Maurizio Borsari/アフロ】

 こうして長友はシンデレラストーリーを実現したが、ビッグクラブへの移籍を彼よりも早く実現した日本人がいる。それは言わずと知れた中田英寿である。彼のローマ移籍もシーズン中(1999−2000シーズン)の冬の移籍マーケットでの出来事だった。
 イタリアでは、一般にサッカー後進国とされる日本の選手がニュースに取り上げられる場合、ともすればサッカー以外の話題を中心におもしろおかしく取り上げられたりするのだが、中田はそれまでの通例を打ち破った最初の日本人選手であるといえる。

 ペルージャでの活躍で、すでにセリエAでも一流選手の仲間入りをしていたこともあり、ローマへの移籍は驚きでも何でもなく、マスコミの取り上げ方もサッカーの話題に集中していた。当時のセリエAは、インテル、ミラン、ユベントスの3強だけではなく、ローマ、ラツィオ、フィオレンティーナ、パルマを加えてビッグ7と呼ばれていた時代だった。特にローマ勢が元気で、(金銭面も含め)ミラノ勢やユベントスを上回る勢いを持っていた。

 中田がローマへ移籍したときの移籍金は約30億円と言われている。この移籍が正式に決まる前に話題になったのは、トッティが自分と同じポジションの中田の獲得に警戒感を抱いているような発言をしたことだった。ローマの狙いとしては中田の獲得で生まれるさまざまなビジネスもあっただろうが、イタリアサッカーの期待を背負っていたトッティが自分のポジションを取られるのではないかと思わせるほど、中田の実力は認められていたのだ。

 長友のインテルへの移籍も11年前の中田のローマ移籍と同じように話題を呼んだ。しかし長友の場合、世界一に輝いたばかりのクラブがセリエAでわずか4カ月間の実績しかない、一般的には無名の日本人選手を電撃的に獲得したという意外性からである。逆にいえば、わずか4カ月という短い期間に見せた長友のプレーをインテルが高評価したということでもある。

 昔はサイドバックに人材が豊富だったイタリアサッカーだが、近年は人材不足に苦しんでいるという現実も、長友のインテル移籍を少なからず後押ししたといえる。
 僕は自分のブログに今シーズン前期のベスト11を選出しようと試みたのだが、左サイドバックのポジションで思い浮かんだ選手は、長友のほかにジェノアのクリーシトとパレルモのバルザレッティしかいなかった。左サイドを駆け上がる圧倒的なスピードに加えてマーカーとしても優れている長友は、攻守共に最も安定した左サイドバックの1人であることは間違いない。

 しかしインテルを冬の移籍マーケットの最終日に長友獲得に向かわせた最大の要因は1月30日に行われた第22節対パレルモ戦でのサントンのプレーだったのではないか。この試合では、キブーが出場停止だったためサントンが左サイドバックのスタメンだった。パレルモは開始早々からサントンが守る左サイドに集中的に攻撃を仕掛けると、サントンはまるで新人のような自信のないプレーを見せて、2失点を喫する要因となった。0−2で前半を終了したインテルは、サントンを外して中盤のサネッティを左サイドバックにコンバートし、後半から出場したパッツィーニの活躍もあって逆転に成功したが、サントンはこのときのプレーで見切りをつけられてしまったのではないか。

長友に今後も出場機会は与えられるのか

 中田はローマでスーパーサブとして、転機となったユベントス戦での1得点1アシストの活躍など、スクデット獲得に大いに貢献したが、最後までトッティの壁を破れず、2001年にはパルマへ移籍している。
 今回の長友はインテルという世界一のクラブで定位置を獲得できるだろうか。長友にとって有利な点は、インテルには左サイドバックのスペシャリストがほかにいないことだ。
 左サイドのレギュラーであるキブーは、本来のポジションはセンターバックである。加えてキブーはガラス細工のように負傷しやすい筋肉の持ち主だ。ローマ戦で左サイドバックを務めたキャプテンのサネッティは左右サイドバックやMFもこなすユーティリティープレーヤーだが、本来は右サイドバックの選手。キブーと違って負傷にはあまり縁のない選手だが、今年の8月で38歳を迎え、年齢によるハンディは隠せない。
 インテルはこれからセリエA、チャンピオンズリーグ、コッパイタリアなど試合が続き、週2試合のペースとなる。そのため、長友が試合に出る確率は決して低くないだろう。

 好材料はあるが、今のところ長友はキブー、サネッティに次ぐ3番手であることに変わりがない。こちらでは短期間で消え去っていくスポーツ選手や芸能人をメテオラ(流星)と呼ぶが、長友がインテルのメテオラとはならずに、しっかりとチャンスをつかんで活躍してくれることを願うばかりだ。

<了>

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著者プロフィール

1953年奈良県生まれ。74年に美術勉強のためにイタリアに渡る。現地の美術学校卒業後、ファッション・イラストレーターを経て、フリーの造形作家として活動。サッカーの魅力に憑(つ)かれて44年。そもそも留学の動機は、本場のサッカーを生で観戦するためであった。現在『欧州サッカー批評』(双葉社)にイラスト&コラムを連載中

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