ありがとう、藪! 阪神低迷時代を支えたエース=プロ野球ニュース通信簿 Vol.36
先週の五つ星ニュース「藪が現役引退を表明 阪神2軍コーチ就任へ」
阪神ファンの一人として特別な思い入れがある投手
94年のルーキーイヤーにいきなり9勝を挙げ、見事セ・リーグ新人王を獲得した藪。以降もエースナンバー「18」を背負い、低迷する阪神の若きエースとして96年から98年まで3年連続2ケタ勝利を記録した。あの頃、僕にとって藪は数少ない猛虎の誇りだった。速球派が少なかった当時の阪神投手陣にあって、藪のストレートは常時140キロ台を計測。たったそれだけのことで、僕は藪のピッチングにいちいち胸を躍らせていた。
加えて、無駄のない正統派の美しいピッチングフォームと織田裕二似と評されたルックス、そして何より、当時巨人の4番だった清原和博に対して死球もいとわない姿勢で内角を厳しく突く強気のピッチング。藪には荒々しい猛虎のエースという雰囲気があった。人気もあった。華もあった。藪は間違いなく、90年代の阪神を支えた主役の一人だった。
もし藪が現在の強力阪神打線を味方に投げていたら?
中でも僕がもっとも印象に残っているのは95年の藪だ。この年の藪は27試合に登板して7勝13敗と大きく負け越したものの、防御率は実に2.98、完投数7、完封数2、投球回数196回と、ここだけ見れば立派なエースの数字である。つまり、当時の阪神は打線が弱かったため、藪がどれだけ好投してもなかなか援護点に恵まれないところがあり、その結果、防御率のわりに勝ち星が伸びないという不遇の事態を招いていたわけだ。
確かに藪が投げているときの阪神打線は特に打てなかった記憶がある。これはただの巡り合わせの問題なのか、それとも相手チームのエース級投手と投げ合ってばかりいたからか、いずれにせよ藪が先発した試合は3、4点勝負のロースコアな展開が多かった。
また、藪は6回ぐらいまで目が覚めるような好投をしていても、7回に何の前触れもなく突如乱れ、あっという間に大量失点してしまうという、不思議な現象が多い投手でもあった。そのため、当時の一部評論家からは「勝負弱い投手」「メンタル面に問題あり」などと厳しく評されることもあったが、僕としてはどこか藪に同情的だった。
毎試合相手エースと投げ合うだけでなく、味方打線も弱かったのだ。わずかな失点で負けを覚悟し、集中力が乱れてもおかしくないだろう。もし、あの頃の藪が現在の強力阪神打線を味方にしていたら……。そんな不毛な“たられば話”が、いまも頭から離れない。
藪の引退試合をぜひ甲子園で!
そんな藪も今季限りで現役を引退するという。今はとにかく「お疲れ様でした」とだけ言うべきなのかもしれないが、そこに一言だけ付け加えさせてもらえるとしたら、「本当に好きなピッチャーでした」と伝えたい。もし契約が順調に進めば、来季は2軍投手コーチとして再び阪神のユニホームに袖を通す藪が見られそうだ。うわあ、嬉しいなあ。
90年代の阪神低迷時代を支え続けた不遇のエース。
あの頃、僕は藪にたくさんの夢を見た。たくさんの感動と喜び、歯痒い思い出をもらった。今でも縦じまの背番号18は藪が一番似合っていたと断じて揺るがない。阪神さん、来年のオープン戦で藪の引退試合を甲子園で開催するのはいかがでしょうか?
<了>
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