アフリカのW杯を楽しむ=宇都宮徹壱の日々是世界杯2010(6月11日@ヨハネスブルク)

宇都宮徹壱

「あなたがたはゲームを楽しむべきです」

記者席から俯瞰したサッカーシティ。9万人弱を収容できるアフリカ随一のスタジアムだ 【宇都宮徹壱】

「何とか間に合ったか!」
 ワールドカップ(W杯)開幕当日。オープニングゲームとなる南アフリカ対メキシコが行われるサッカーシティの威容を見上げながら、思わず私は心の中でうなってしまった。アフリカでフットボールの祭典が行われることも、確かにすごいことである。しかしながら、今大会のメーン会場であるサッカーシティの完成が、辛うじて本大会に間に合ったという事実も、これはこれで実に感慨深いものがある。

 今年の1月、取材でここを訪れた時は、スタジアム自体はほぼ完成していたものの、その周囲は赤い土がむき出しになっていて、巨大な水たまりさえあった。それから5カ月が経過した今、駐車場やいくつかの導線はやはり土のままだが、それでもW杯の開幕を飾るにふさわしい舞台として、最低ラインは何とかクリアするところまでこぎつけたようだ。もっともスタジアム内部については、何ら申し分ないと言えよう。ミラノのサンシーロのようならせん状のスロープを上り切り、最上階の記者席からピッチを俯瞰(ふかん)したときの光景は格別であった。国内最大のアステカ・スタジアム(11万人収容)を誇るメキシコのサポーターも、きっと少なからず感動を覚えることだろう。

 キックオフは16時。その2時間前に催されたセレモニーは、なかなかに興味深いものであった。色とりどりの民族衣装を着たパフォーマーがエネルギッシュに踊ったり、巨大なフンコロガシが出現して巨大なサッカーボールを転がしてみせたり、布を使ったマスゲームでアフリカ大陸のシルエットを浮かび上がらせたり、とにかく理屈抜きに楽しめた。その一方で「南アフリカの」というよりも、むしろ「アフリカ全体の」W杯という主張が強く打ち出されていたことに、私たちはもっと着目すべきであろう(例のフンコロガシも、古代エジプトで太陽神と同一視された“聖甲虫”のイメージであったようだ)。マグレブ(北西アフリカ諸国)もサハラ以南も、そして民族も宗教も関係ない。このアフリカ大陸でW杯が開催されることこそが、全アフリカ人にとっての悲願であり、そして誇りである――。およそ1時間ほどのセレモニーからは、そうした総意が強く感じられた。

 今回、非常に残念だったのは、ネルソン・マンデラ元大統領がセレモニーに出席できなかったことであろう。何と大会前日に、ひ孫が交通事故で亡くなったそうだ。享年13歳。その心痛たるや、いかばかりのものであっただろう。それでも新生・南ア建国の父は、現職のジェイコブ・ズマ大統領にこのようなメッセージを託している。
「間もなくビッグゲームが始まる。あなたがたはゲームを楽しむべきです」

大会初ゴールは南アのチャバララ!

威風堂々としたメキシコのサポーター。この日の開幕戦を大いに盛り上げてくれた 【宇都宮徹壱】

「ゲームを楽しむ」ためには、やはりホスト国には頑張ってもらわなければなるまい。前回のドイツ大会から、ホスト国はオープニングゲームを戦うことになったわけだが、この二重の重圧をはねのけて勝利するのは並大抵のことではない。加えて“バファナ・バファナ”(南ア代表の愛称。「少年たち」の意味)の場合、前回のドイツ代表と比べると、どうにも頼りなさげに見えてしまう。最新のFIFA(国際サッカー連盟)ランキングでは83位。今大会の出場国では、ニュージーランド(78位)よりも下で、北朝鮮(105位)よりかは上、というポジションである。対するメキシコは17位。実力でも、W杯での経験値でも、南アは大いにメキシコに水をあけられていた。

 実際、前半は完全にメキシコのペースであった。フランコ、ベラ、ドス・サントスの3トップに加えて、右サイドバックのアギラルが果敢にオーバーラップを仕掛け、南ア守備陣を自陣ペナルティーエリアにくぎ付けにする。メキシコの先制は時間の問題のように思われた。38分には左コーナーキックから、フランコがヘッドでコースをずらし、さらにベラがゴールに押し込んで雄たけびを挙げるが、これはオフサイドの判定。前半のメキシコには、これ以外にも少なくとも3つの決定機があったが、南アGKクネが好セーブを連発して、両者無得点のままハーフタイムを迎える。

 後半、南アのパレイラ監督が動いた。サイドバックのスワラに代えてマシレラ。ドス・サントスに支配されていた、左サイドのテコ入れであったのは間違いない。実際、この交代は守備はもとより、攻撃面でもリズムが生まれる契機となり、ついには待望の先制ゴールを呼び込むこととなる。後半10分、中盤の細かいパス交換から、ディクガコイが長いスルーパスを送り、これを受けたチャバララが左足を振り抜いて、南ア全国民を熱狂させる今大会初ゴールを決める。決まった瞬間、記者席にいたアフリカ系の記者は総立ちになり、さながらサポーターのように絶叫していた。

 このゴールに勇気を得た南アは、その後は一時的にゲームを支配。対するメキシコは、一転して後手に回るようになり、次第に焦燥の色を濃くしていく。ここで目を引いたのが、アギレラ監督のさい配。次々と交代カードを切ることで、次第にメキシコは本来のペースを取り戻していく。とりわけ、ベテランのブランコ投入はチームに落ち着きを、伸び盛りのエルナンデス投入は攻撃の再活性化を、それぞれチームにもたらした。そして後半34分には、それまでクネが守り続けたゴールが、ついにマルケスの一撃によって突破される。その後も息詰まる攻防はあったものの、1−1のスコアのまま試合終了。南アとメキシコが勝ち点1を分け合って、オープニングゲームは終了した。

「危なっかしさ」は相変わらずであるけれど

サッカーシティに多数掲げられた南アの国旗。何はともあれ、アフリカのW杯は開幕した 【宇都宮徹壱】

 残念ながら、ホスト国・南アは、初戦で勝ち点3を得ることはなかった。チャバララの先制ゴール以降は、間違いなく彼らがゲームの主導権を握っており、前半とは比べ物にならないくらい決定的なチャンスを得ていた。そこで追加点を決め切れないところに、バファナ・バファナゆえの「甘さ」が感じられる。とはいえ、あの北中米の雄であるメキシコに対して、初戦できっちり引き分けることができたのは、十分に評価されて、しかるべきだろう。

 だがそれ以上に、賞賛されるべきことがある。それはこの日、サッカーシティで世界的なビッグイベントが行われたという事実(公式入場者数は8万4490人と発表された)、そしてアフリカ大陸でW杯の公式戦が行われ、大きな混乱や事故もなく無事に終了したという事実である。これらの事実は、極めて歴史的な重みを持っており、その現場に居合わせたことは、まったくもって取材者冥利(みょうり)に尽きると言えよう。

 もちろん細かい部分で見れば、大会の「危なっかしさ」は相変わらずである。私自身が耳目にしたところでは、メディアバスが故障して立ち往生したり、プレスルームで盗難事件があったり、とにかく過去のW杯では考えられないことが頻発しているのは、紛れもない事実である。だがそれでも、何はともあれ、アフリカ大陸でのW杯は開幕した。始まってしまえば、あとは閉幕までの1カ月を突っ走るしかない。であるならば、可能な限り、この破天荒な大会を最後までとことん楽しみたいものである。

「あなたがたはゲームを楽しむべきです」という、ネルソン・マンデラの言葉を、私は今大会を通して順守したいと思う。たとえ今後、どんなトラブルに見舞われたとしても。

<この項、了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント