“がんばろうKOBE”〜時代を超えた合言葉〜
野球ができないかもしれない!
オリックスユニホームの袖口に縫い付けられた「がんばろうKOBE」が神戸復興のシンボルとなった 【オリックス野球クラブ株式会社】
「今から思えば、(地震直後は)野球ができる状況ではなかった。でも僕たちにできることは、野球しかなかった」と当時の選手会長・藤井康雄は振り返る。実際、野球どころではなかった。2週間後に迫っていたキャンプインさえも、球団内部で予定通り実施するか否かが検討されたという。神戸市の西部にあるグリーンスタジアム神戸も、球場に程近い合宿所も少なからずの被害を受けた。市民の日常生活がままならない状況のもとで、選手もすぐには、気持ちを野球にシフトできなかったのだ。そう、選手たちも被災者だったのだ。
そんなある種、極限状態の中、「復興の一助として、野球で市民を盛り上げよう!」と判断した球団は、“がんばろうKOBE”というスローガンを決め、ユニホームの右袖にその言葉を縫い込んだ。後に、このフレーズが“新語流行語大賞”を受賞することなど、当時は誰が想像したであろうか。それも当然である。被災した街並みと、野球とはどう考えても結びつかなかったのだから……。
しかし……、である。キャンプを終え、神戸での最初のオープン戦に集まった観衆はなんと8500人。神戸の中心・三宮とグリーンスタジアム神戸のある総合運動公園とを結ぶ地下鉄は半ばで寸断されていた。周辺の高速道路も生活救援物資運搬車に限って通行を許されている状況だった。大地震から2カ月しかたたない、そんな状況下で集まった8500人がどれほどの数字であるかは、容易に想像がつくはずだ。被災した市民は野球というスポーツに、ブルーウェーブというチームに、一条の光を見出そうとしていたのだ。
ブルーウェーブの勝利が復興シンボルに……。
大地が大きく揺れ、震えたあの日から245日。ホームタウンから600キロの距離を隔てた所沢で、仰木監督が歓喜の胴上げで宙を待った。万感の想いが詰まったリーグ優勝。ファンとチームが一体、一丸となって極めた頂点だった。袖口に縫い込まれたスピリットが、優勝という形で昇華された瞬間だった。
“がんばろうKOBE”。時代を超えた合言葉
<text by 大前一樹>
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