中村憲剛、絶望の淵から=完全密着ドキュメント 第一章
ネガティブな感情ばかりが頭の中を駆け巡った
空港などでは気丈に振舞っていた憲剛(右)だが、手術後は精神的に沈む時期があった 【(C)川崎フロンターレ】
だが本人にとっては、サッカーはおろか普段の生活も困難という現実を身をもって知らされた瞬間でもあった。
「けがをしたときから事実は受け止めていましたけど、手術後の1、2日間はさすがに相手の4番(城南一和のDFオグネノブスキー)のことを恨みました。『こんちくしょう、何でだよ』って。でも、怒鳴り散らす元気もないし、そもそも動けないから何かに当たることもできなかった。点滴をつけているから痛い上に身動きがとれず、口の中がガチガチに固まっている状態なので食事は流動食。流動食を注射器で吸い出して口に入れるんです。最初は全然うまくできなくて、1回の食事に30分以上かかることもありました。先生からは『この状態が2週間ぐらい続くよ』って言われて、そのときは絶望的な気分になりましたね。こんな状態が2週間続くのかって」
手術当日、そして翌日は全身麻酔の影響で頭がもうろうとし、体に力が入らなかった。肉体的な苦痛に精神的な苦痛が重なり、ネガティブな感情ばかりが頭の中を駆け巡った。だが手術を終えて落ち着いてからは、少しずつ物事を前向きに考えられるようになってきたそうだ。術後の経過が良好だったことも、憲剛の気持ちを明るくさせた。
現在、憲剛の歯には、上顎と下顎とをゴムでつなぐためのフックのような金具がついている。手術直後はこのゴムがきつく留めてあり、ほとんど口を動かせない状態だったそうだ。現在はこの幅が広がっており、少しはアゴを動かせるようになっている。入院後は流動食を注射器で吸い出して口に入れるという食事だったが、入院後13日目からはおかゆや形の残っているおかずに変わった。こうしたちょっとした変化が、いまの憲剛にとっては大きな励みになっている。
「手術をして最初のころはなかなか寝つけなかったですけど、3日目、4日目あたりから眠れるようになってきました。人間って回復する生き物なんだなって実感しましたね。じょじょに口を開けられるようになって、痛み止めの薬の回数も減ってきました。一番感動したのは、流動食じゃなくなってはしで食事ができるようになったときです。これは普段の生活をしていたら絶対に分からないことですよね」
14番のユニホームに思いを感じ
新潟戦、チームメートは憲剛の背番号14を着てピッチに入場した 【Photo:北村大樹/アフロスポーツ】
また3月6日には外出許可が下り、等々力陸上競技場で川崎のリーグ開幕戦、対アルビレックス新潟戦を観戦した。当日、チームは憲剛を励ますためにちょっとしたサプライズを用意した。選手入場のときに全員が憲剛の14番のユニホームを着てピッチに登場したのだ。当然ながらこのことは本人にはまったく知らされていなかった。
「全然知らなかったです。もうグッときちゃいましたよ、本当に。けがをした直後、入院中、ひさしぶりに外の世界に出られたこと、いろいろな感情がこみ上げてきました。チームのみんなが14番のユニホームを着てくれたのがうれしかったし、サポーターのみんなも盛大なコールをしてくれてすごく励まされました。自分の気持ちを制するので精いっぱいでしたよ。何しろ首から下は元気なわけですから、体がうずうずしちゃって。ああ、サッカーやりてぇなって」
そして3月12日──。憲剛に退院の許可が下りた。だが、けがの個所が完治するのはまだ先のこと。今後は通院しながら本格的なリハビリ生活に入る。復帰時期は未定だが、4月中の復帰を目指し、自分との闘いに勝たなければならない。
「起きてしまったことはしょうがない。しっかり受け止めています。このけがは何か意味があるんだと思うようにしてます。いきなりは良くはならないけど、それは十分に理解していますし、治ったときにこの時期があって良かったなと思えるようにしたい。だから、いまできることをしっかりやる。それしかないですよ。ジタバタしても仕方ない。とにかく一生懸命やりますよ」
再びピッチで輝くために。背番号14は絶望の淵からの再起を懸け、少しずつ歩みを進め始めた。
<この項、了>