「アンゴラ2010」の光と影=アフリカ・ネーションズカップ総括

市之瀬敦

アンゴラの戦いは?

開催国アンゴラ(赤)は準々決勝でガーナに敗れて大会を去った 【Getty Images】

 昨年5月に、エジプトのクラブチーム、アル・アハリでアフリカ王者に輝いた実績を持つポルトガル人監督マヌエル・ジョゼを代表チーム監督に招き、満を持して大会に臨んだアンゴラだったが、結果は準々決勝でガーナに0−1で惜敗、ベスト8どまりであった。開催国としてはもう少し上まで行きたかったところだが、現時点での実力を考えれば、順当な結果とも言えよう。
 大会開幕戦となった1月10日の対マリ戦。4−0とリードしながら、GKのミスから守備が崩れると、わずか15分ほどで4失点。国際試合での経験不足、そして精神的な脆さをいきなり露呈してしまった。
 しかし、そんなときに地元開催の強みが生かされる。国民の励ましと信頼を受け、選手たちは立ち直り、第2戦は、初戦でアルジェリアを3−0で破っていた難敵マラウィを2−0で下してみせた。さらに、引き分けで十分だった第3戦ではアルジェリアと予定通り(?)0−0で引き分け、決勝トーナメント進出を決めたのだった。

 残念ながら、エシアンのいないガーナ戦では、勝利が期待されたものの、FW陣の決定力不足が響き、ギャンの一発に沈むことになってしまった。
 4試合を戦ったアンゴラ代表にとり、今後の課題は、やはり高いレベルでの国際経験をさらに積み重ねること。決めるべき時に決める決定力の向上(大会直前にはアンゴラのサントス大統領自らがその問題点を指摘していた)。また、アンゴラサッカー界全体のテーマとしては、次世代を育てるための育成部門を整備することである。これまでも名選手を数多く生んできたアンゴラである。育成の基盤さえ整えば、ワールドクラスの選手を育てることは不可能ではないはずだ。

「アンゴラ2010」の光と影

 大会が終わり、アンゴラのメディアはアンゴラ代表の成績に関しても、大会運営に関しても、どちらも高い評価を与えている。アンゴラ代表の試合は4試合ともスタンドはほぼ満員で埋まり、その敗退後もファンの関心は薄れず、エジプト対ガーナの決勝戦も5万人のサポーターでスタンドは膨れ上がっていた。
 国外に目を転じれば、FIFA(国際サッカー連盟)からも、そして第14回アフリカ連合首脳会議に参加するため1月31日から3日間エチオピアに集まった各国首脳からも称賛の言葉が寄せられた。ベスト8で終わったのは残念だったが、一大スポーツイベントを成し遂げたアンゴラ人はさぞや自信を持ったことだろう。

 しかし、この大会があまりに痛ましい出来事によって始まったことを忘れることはできない。言うまでもなく、1月8日、コンゴ民主共和国とコンゴ共和国に囲まれた北部の飛び地カビンダにおけるトーゴ代表襲撃事件である。
 カビンダ地方は石油が豊富に採れることもあり、1960年代から独立運動が存在する。ポルトガル植民地時代はポルトガル軍を相手に戦い、1975年の独立後はアンゴラ軍を相手に戦ってきたFLEC(カビンダ飛び地解放戦線)という反政府組織の一分派が、トーゴ代表が乗ったバスを襲撃したのだ。2002年に内戦の終結を迎え、その後は驚異的な経済成長を遂げ、世界からも好意的なまなざしを向けられていたアンゴラだけに、国民が待ちに待ったサッカーのイベントを前にして、まだ軍事的に不安定な要素があることを示してしまったのは悲しいことであった。

 大会後、アンゴラのスポーツ青年担当大臣ゴンサルベス・ムアンドゥンバは、4つの新スタジアム建設や交通網の整備などを誇ると同時に、そのために社会経済的に大きな犠牲を払ったことを認めた。石油景気に沸くアンゴラは、国は豊かでも国民はきわめて貧しいと言われる。今後は、サッカーの「犠牲」になった部門の発展に国力を注がなければならない。
 また、大会期間中、アンゴラ政府は憲法改正を実施、これまで実施されてきた大統領の直接選挙を廃止してしまった。その結果、今後は議会与党から大統領が選出されることになるのだが、そうなると現職のサントス大統領は最長で2022年までその職にとどまることができるのである。同大統領が就任したのは1979年だからすでに30年以上もその座についており、さらに12年間も大統領のままとなると、信じられないくらいの長期政権となる。国民が代表チームの勝利に酔いしれている間に、政府が非民主的な政策を取ったという批判が聞こえることも事実なのである。もちろん、国民が選んだ政党の党首が国家元首になって何が悪いのか、という反論も行われているのだが……。

 何はともあれ、最後はきらびやかな光線に包まれた閉会式で終わった「アンゴラ2010」。2月1日には早速サントス大統領が国民にメッセージを送ったが、その中で「CAN・バレウ・ア・ペナ」(アフリカネーションズカップをやってよかった)と何度も繰り返した。その理由は、若者がスポーツに親しむための施設ができたから、道路やホテルなどインフラが整備されたから、アンゴラ人にも大イベントを実行する能力があることが証明できたから、選手たちの意欲と献身を確認できたから、国民のまとまりを見ることができたから、などである。
 だが、大切なのは、この大会の成功をきっかけに、アンゴラサッカーがさらに強化され、さらにまた、経済成長の恩恵が庶民にも広く行きわたり、政治も安定することである。サッカーだけでなく、アンゴラにとり、国際社会における確固たる地位を占めるための第一歩が今、記されたということなのだろう。

<了>

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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