黒子が語るオシムとの日々(後編)=千田善氏(イビチャ・オシム前日本代表監督通訳)インタビュー

宇都宮徹壱

リハビリ中も黒子に徹していた

オシム氏が来日するたびに、かつての教え子たちが訪ねにくるという 【宇都宮徹壱】

――意識が戻ったあとも、さらに厳しいリハビリが続いたわけですが、この時も千田さんは療法士さんの言葉を通訳してオシムさんに伝えていたわけですね

「ひじを伸ばせ!」とか「肩を上げろ!」といった指示を通訳するわけです。その時も自分は黒子なんです。うまくいかないと「お前、通訳下手だな」となるんだけど、うまくいくと通訳がいないかのようになるんです。つまり、透明人間になれるわけ。そのために集中する。言葉もそうだし、タイミングも、声の大きさも。それができて上手なリハビリができるわけです。代表の練習と一緒。そのために、よい透明人間になる努力をしていたんです(笑)。明神(智和=G大阪)みたいな存在(笑)。試合であまり目立たなくても、あとでビデオを見てみると明神が5人分くらい働いている。そういうことができるのが、よい通訳だと思っています。

――なるほど、いい通訳も、いい選手も、いい審判も同じことが言えるのかもしれませんね。ただ、リハビリ期間というのは、それまでの闘病期間とは違った意味で、大変だったんでしょうね

 やっぱりオシムさんが痛そうにしているのは、見ていてかわいそうでしたよ。ごく初期のころは、感覚がないから痛くはないんです。だけど、神経が伝わっていなくて動かないから、本人としてはもどかしい。それでも動かそうとすると、例えば足だけではなく全身が真っ赤になってしまう。少し感覚が戻って動かせるようになると、今度は神経のつながり方がうまくいかないとか、現役時代の古傷が痛むとか、そういうことで激痛が走るわけです。それでも動かさないといけない。そこを僕が「動かせ!」「伸ばせ!」「上げろ!」と、もう文法的には命令形ですよ。それはでも、やらなければならないわけです。

――そうしたときに、オシムさんから反発を受けるようなことは?

 いや、それが当たり散らすことはなかったです。代表の練習の時には、選手に当たらずに通訳に当たっていたんで、何度も「お前なんかクビだ!」と数え切れないほど言われました(笑)。でもリハビリのときは、本当に真剣にね。10回やるところを、12回とか13回とか余計にやるんです、あの人は。それを見て「ああ、この人はこうやって(現役時代から)努力をしてきたんだ」と、むしろ感動するくらいでしたね。

――そうしたリハビリするオシムさんを間近で見て、千田さんの中に何が残りました?

 それこそオシムさんの人柄というものが、よく理解できました。人に対するリスペクトというか、心の底から人に対する感謝の気持ちを持っているというのが分かりましたよ。あんな怖い顔をしていても、実はいい人なんだということですかね(笑)。誠実である、他人を裏切らない、感謝の気持ちを素直に持っていて、自分が努力することで感謝の気持ちを表そうとする人。そして、それを続けることができる人。そういう意味で、選手として、監督として立派だったということ以上に、人間として偉大だったということですね。逆に自分が、あのような立場になったらと考えると恐ろしいですよ。

オシムに会いに来る教え子たち

――今の代表を見ていて「自分もあのベンチにいたんだ」と思うことって、あります?

 それは最初のころはありました。岩政くん(大樹=鹿島)が、代表の発表があるたびに(自分の名前がなくて)奥さんにあたったりする、という話をどこかで読んだけれど、それと同じような思いはね、オシムさんが退院した直後はありました。2〜3カ月くらいは。でも、そこで怒ったところで状況が変わるわけでもないし、その後は落ち着いて見られるようになりましたけどね。この間のイエメン戦(1月6日)はネット中継のカクカクした映像で見ていました(笑)。

――そしてワールドカップ(W杯)イヤーを迎えたわけですが、今のお気持ちはどうでしょう。やっぱり悔しいですか?

 それは僕だって(代表監督の通訳として)南アにはいきたかったですけど、それはまったく現実的ではないから。今の選手とスタッフでいい成績があげられるように、悔いのない準備をして本番でビビらないようにやってもらいたいと思いますね。

――W杯はどうされます?

 スポーツナビが特派員として雇ってくれるなら行きますけど(笑)。でもオシムさんが行くというのであれば、それは喜んでボランティアでね。この間(の来日時)もボランティアでした。もちろんインタビューではペイが発生するけど、それ以外で選手がオシムさんを訪ねてきたときなんかは、ボランティアで通訳していましたね。本当に「もう帰ってよ」と思うくらい(笑)、教え子がたくさん来ていましたね。中には、オシムさんに会うためだけに新幹線に乗ってきた選手もいたくらいで。

――今でも選手たちへの影響力は衰えないんですね

 行くとアドバイスしてくれたり、自分の迷いが吹っ切れるような何かが得られるんですよ。オシムさん自身、今もリハビリを続けているわけで、そういう姿を見ると、いろんなことを感じることもできるし。それに「お前、あの時こういうプレーをしただろう」という、選手が忘れているようなことまでも覚えているんですね。本当に、学校の担任とか進路指導の先生みたいに、あとあとまで選手のことを本当によく覚えているんですよ。

この次は「オシムの戦術論」を書きたい

千田氏は、次はオシム氏の戦術論についての本を書く予定だという 【スポーツナビ】

――オシムさんに会って話を聞きたい、というのは選手だけではなくメディアもそうですよね。さまざまなメディアが、今もオシムさんから言葉を引き出すために(自宅がある)グラーツ詣でや(故郷である)サラエボ詣でをしている。この現象については、どう考えますか?

 それはオシムさんだからだと思います。それ以前の代表監督経験者が、そういう扱いを受けているかというと、ジーコもトルシエもそうではないわけです。オシムさんは、単にサッカーの優れた指導者である以上に、言葉の使い方なり人生観の表現の仕方であったり、そういうところで魅力が感じられるからこそ、そういう現象が今も続いているんだと思います。それは薄っぺらい人間が、レトリックでことわざを引用しているのとはまったく違う、深みと迫力があるんだと思います。それはあの人が倒れてから強く感じたところでもありますね。

――つまりオシムさんが倒れるというアクシデントがあったからこそ、そうした人間性をあらためて理解したと。逆に、もし2010年までオシム政権が続いていたなら、大会後に出されたであろうこの本も、もっと違った内容になっていたでしょうね

 おそらく、チームマネジメントのノウハウの本になっていたでしょうね。「代表チームとは」とか「サッカー選手とは」とか「指導とは」とか、そういう本にはなっていたと思います。確かにこの本は、倒れてからのリハビリの話があって成立しているわけだけど、そうではなくても何冊も本が書ける材料のある人ですね、オシムさんは。

――すでにそういうプランはあります?

 第2弾、というわけではないんだけど、この本で描き切れなかったサッカーの戦術論とか練習方法とか、そういうことに絞ったものを準備しています。まあ、何カ月か先の話にはなると思いますが。本当はこの本のあとには、ボスニア紛争の本を書こうと思ったんだけど、書いていて書き足りないところというのが出てきて、今はそれをやっています。それを終えたら、W杯を集中して見て、あとは「もうサッカーはいいかな」と。たぶん、そうはならないと思うんだけど(笑)、そろそろ元の国際政治の方に戻らないといけないかな、とは思っています。

――最後の質問になりますが、この本のテーマのひとつが、オシムさんが日本サッカーにどんな痕跡を残したか、というものがあったと思います。それについては本書を読んでいただくとして、オシムさんは千田さんご自身に、どんな痕跡を残したんでしょうか?

 僕自身に? 何だろうな……それはあまりに近すぎて整理できていないですね。まあ、オシムさんがいなくなったということで、すごい空洞があるんです、僕の中に。それをこの本や、これから書くであろう本によって埋めていく、という感じですね。ぽっかりと空いた穴、というよりは巨大な地下鍾乳洞みたいな(笑)。それを自分自身で埋めていく作業というのが、自分個人だけのものではなくて、日本人や日本サッカー界の共有財産にしていこうと――今はそう思いますね。

<了>

千田善
1958年、岩手県生まれ。国際ジャーナリスト、通訳・翻訳者(セルビア・クロアチア語)など。旧ユーゴスラビア(現セルビア)ベオグラード大学政治学部大学院中退(国際政治専攻)。専門は国際政治、民族紛争、異文化コミュニケーション、サッカーなど。新聞、雑誌、テレビ・ラジオ、各地の講演など幅広く活動。
紛争取材など、のべ10年の旧ユーゴスラビア生活後、外務省研修所、一橋大学、中央大学、放送大学などの講師を経て、イビチャ・オシム氏の日本代表監督就任に伴い、JFAアドバイザリー退任まで専任通訳を務める(06年7月〜08年12月)。サッカー歴40年、現在もシニアリーグの現役プレーヤー。
著書:「ワールドカップの世界史」「なぜ戦争は終わらないのか」(いずれもみすず書房)、「ユーゴ紛争はなぜ長期化したか」(勁草書房)、「ユーゴ紛争」(講談社現代新書)ほか。

『オシムの伝言』 千田善 著

日本代表通訳として常にかたわらにいた著者が、イビチャ・オシム氏の日本での足跡を克明に記した迫真のドキュメント。日本代表監督としての軌跡、闘病の日々、日本サッカー協会アドバイザー就任から離日まで、その全期間923日の活動と発言が時系列で描かれている。オシム氏の思想とフットボール哲学、サッカー界への提言を伝える。また、はじめて明かされる闘病の記録には、胸を揺さぶられる。構成は、時間軸に沿いつつ、「人生」「スタイル」「リスク」「個の力」「誇り」「自由」「エスプリ」「勇気」「希望」「魔法」など、章ごとに主題が設定された29項から成る。セルビア・クロアチア語に通暁する著者が、オシム氏のユーモアや思想の真髄を伝える。コミュニケーションの精度の高さゆえ、類書とは一線を画するものとなった。すべてのオシム・ファンとサッカー愛好者に贈る書。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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