ビエリ、惜しまれずに去った元世界最高FW=突然の引退宣言、そしてその後

ホンマヨシカ

「プレーをする意欲がなくなった」

引退を決意したビエリ。現役最後のクラブはアタランタとなった 【Getty Images】

 去る10月22日に、元イタリア代表FWのクリスティアン・ビエリ(愛称ボボ)が「プレーをする意欲がなくなった。外国においてもそうだ」と現役引退を発表したことを知った時、「あっそうか、ビエリはまだ現役のアタッカーだったんだ」と本人に対して誠に失礼な感想がまず頭に浮かんでしまった。
 それほど僕にとってビエリの印象が過去のものとなっていたのだ。イタリアのマスコミやファンからもビエリの引退発表を惜しむ声がほとんど上がらなかったたことをみても、僕のビエリに関する印象は多くの人も感じていたようだ。

 実際に彼の最近の経歴を調べてみても、インテルでの最後のシーズン(2004−05シーズン)以降は、再三負傷に見舞われるという不運もあったにせよ、ベンチに座っている時間の方が長く、4シーズン(ミラン、モナコ、サンプドリア、アタランタ、フィオレンティーナ)のリーグ戦でトータル57試合出場し、14ゴールという寂しい結果しか残していなかった。全盛時に見られた、強引に力でねじ伏せるような、まるで獣を感じさせるようなプレーとゴールが見られなくなって久しくなっていた。
 同い年でもある親友のフィリッポ・インザーギ(愛称ピッポ)が、常にサッカー少年のようなフレッシュさで、ミランのアタッカーとしてチャンピオンズリーグなどで活躍していることを思うと、その凋落(ちょうらく)ぶりはなんとも甚だしい。

突然の引退撤回?

 ところがビエリ引退発表の6日後の28日、ビエリがブラジルのボタフォゴ(名の通ったリオデジャネイロのボタフォゴではなく、リベイラン・プレトのボタフォゴ)と契約するとのニュースが入り、早くも引退宣言を覆したビエリに対して、関係者やファンも驚いたというよりもあきれてしまった。
 これには2007年に30歳でサッカー選手を引退しているフランチェスコ・ココもビエリとともに契約するという信ぴょう性を疑うような話も付いていたのだが、ビエリのインテル時代の遊び仲間でもあったコリンチャンスに所属するロナウドや、同じくインテル時代の同僚で現在フラメンゴのアタッカーとして活躍するアドリアーノのいるブラジルのクラブへの移籍だから、十分にあり得る話だと思った人も多いだろう。

 しかし、この移籍話はすぐにビエリ自身によって否定され、本人の引退意思が本物であることがあらためて強調された。昨シーズンまで所属していたアタランタとの契約を解消した後、いくつかの移籍話が浮かび上がっては消えていった。
 今年の7月、イングランド・プレミアリーグのブラックバーンへの移籍話が上がったのをはじめ、10月初旬にはミラノ郊外の街ブスト・アルシツィオ(人口8万人あまり)のクラブ、プロ・パトリア(セリエC所属)への移籍話がうわさされたが、同クラブの会長自ら単なるデマ話と移籍を否定した。

 このことで分かるように、常にテレビのショーガール等との浮名がゴシップ雑誌をにぎわし、サッカー選手として既に盛りを過ぎたビエリを獲得しようと本気で動くクラブは現れなかった。これらの出来事はビエリに引退を決意させる大きな要因となったことは間違いないだろう。中にはビエリのようにピークを過ぎたサッカー選手でも、情熱を失わずに下部リーグでプレーを続行する選手もいるが、ビエリには既にそこまでしてプレーするという情熱が冷え切っているようだ。

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著者プロフィール

1953年奈良県生まれ。74年に美術勉強のためにイタリアに渡る。現地の美術学校卒業後、ファッション・イラストレーターを経て、フリーの造形作家として活動。サッカーの魅力に憑(つ)かれて44年。そもそも留学の動機は、本場のサッカーを生で観戦するためであった。現在『欧州サッカー批評』(双葉社)にイラスト&コラムを連載中

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