2つの「マネーボール」の行く末=ビリー・ビーンは“変心”したのか?

菊田康彦

かつての主砲ジアンビ(右)らと契約するなど、その方針に“異変”が見られ始めたビリー・ビーン。果たしてその思惑とは… 【Getty Images】

 今年の6月、俳優ブラッド・ピット主演でクランクイン目前となっていた1本の映画が、突如として製作中止になった。映画のタイトルは「マネーボール」。資金に恵まれないながらも、独自の戦略でプレーオフ常連となったオークランド・アスレチックスを描いた同名ベストセラーノンフィクションの、映画版となるはずだった。

 映画の話がとん挫したのは、「トラフィック」でアカデミー賞も受賞したスティーブン・ソダーバーグ監督が手を加えた脚本の内容に、製作のコロンビア・ピクチャーズが難色を示したためであり、アスレチックスの成績とは何ら関係がなかった。しかし、「マネーボール」が米国で出版された2003年まで4年連続でプレーオフに進出し、06年にもアメリカンリーグ西地区を制した強豪も、ここ数年は低迷続き。今季は8月3日(現地時間)現在で同地区4球団中4位と、ビリー・ビーンGM就任1年目の98年以来となる最下位の危機にひんしている。

「マネーボール」とは

 選手としてはさしたる実績を残せないまま現役から退いたビーンが、スカウトやGM補佐を経てアスレチックスのGMに就任したのは、97年10月のこと。当時のアスレチックスは、オーナー交代を機に緊縮財政を余儀なくされるようになっており、98年度の年俸総額はメジャー30球団中28位。少ない予算で“金満球団”と対等に渡り合うためにビーンが打ち出したのが、統計学的手法で野球を分析するセイバーメトリクスを基にした独自の戦略だった。

 たとえば選手の獲得に関しては、打率や本塁打、勝敗や防御率といった一般的な成績よりも、セイバーメトリクス的にはより意味があるとされる出塁率や奪三振などを重視。一見して成績が良くなくとも、これらの数値が高い選手を集めることで、安価な補強を目指した。また、こうして獲得した選手が期待どおりに活躍しても、年俸が高騰する前に放出し、代わりに有望な若手を獲得。FAになっても積極的には引き留めず、その補償として他球団からドラフト指名権を手に入れることで、年俸抑制と戦力維持の均衡を図った。

 こうした戦略が功を奏し、アスレチックスは年俸総額では常に下位にランクされながらも、00年から4年連続でプレーオフに進出。少ない予算で常勝チームをつくり上げたビーンの戦略は、冒頭で紹介したノンフィクション小説で詳細に描かれ、そのタイトルから「マネーボール」と呼ばれるようになった。

「常勝」から「再建」へ

 だが、07年には故障者の続出もあって9年ぶりに勝率5割を切ると、ビーンは自身の契約が14年まで延長されていたこともあって、「プレーオフ争いができないのなら、プレーオフ争いができるようなチームを一からつくり直す」と宣言。オフにダン・ハーレン(現ダイヤモンドバックス)、ニック・スウィッシャー(現ヤンキース)といった、どちらも契約が2年以上残っていた投打の主力級を放出し、年俸総額の削減を進めるとともに、次代を担う若手を大量に獲得。昨年も7月にリッチ・ハーデン(現カブス)とジョー・ブラントン(現フィリーズ)の先発2枚看板を立て続けにトレードするなど、将来を見据えた抜本的な再建に乗り出した。

“異変”が起こったのは昨シーズン終了後だ。長期的な視野に立ってチームを土台からつくり直すはずのアスレチックスが、07年に打率と打点の二冠王に輝いたロッキーズの強打者マット・ホリデーをトレードで獲得したのだ。年俸1350万ドルと高額な上に、今年のオフにはFAとなるホリデーの獲得は、それまでの方針とは相反するように見えた。さらにゴールドグラブ賞2回の名遊撃手オーランド・カブレラもFAで獲得し、かつての主砲ジェイソン・ジアンビ、首位打者2回の実績を持つノマー・ガルシアパーラといったベテランとも相次いで契約した。

 ビーンは“変心”したのか? 決してそうではないと思う。ビーンは勝負を捨ててまで再建を推し進めていたわけではなかったのだ。長期的な視野に立ったチームの土台作りを進めながらも、チャンスがあればプレーオフ出場を狙う、そんな腹づもりだったはずだ。現に今春にはあるインタビューで、こんなふうに語っている。
「若い選手に対しては我慢することも必要だが、ファンに球場へ足を運んでもらうにはやはり勝たなくてはいけない」

織り込み済みの「失敗」

 ところが、ふたを開けてみるとホリデーは期待どおりには打てず、ジアンビのバットも湿ったまま。開幕スタメンの座を勝ち取ったガルシアパーラは2度にわたってDL(故障者リスト)入りするなど今年も故障者が続出し、チームは5月初旬からどっぷりと最下位に沈んでしまった。しかし、この“失敗”もビーンにとっては織り込み済みだった。「プレーオフ進出を狙う」というAプランがうまくいかなければ、「土台作りの継続」というBプランに切り替える――7月末のトレード期限までにホリデーをカージナルスへ、カブレラをツインズへそれぞれ放出して、見返りに若手選手を獲得したのも、ビーンにとってはプランどおりの行動だったと言える。今後もビーンは再建の旗印を掲げながらも、二段構えですきあらばポストシーズンをうかがってくるに違いない。

 1度は製作中止が決まった映画「マネーボール」は、それからしばらくして新たな監督と脚本家で、再び製作に向けて動き出すことになった。本人役で映画への出演が決まっていたアート・ハウ元監督やデビッド・ジャスティス元外野手らは胸を撫で下ろしただろうが、ビーンはブラッド・ピットが自身を演じるこの映画には、あまり乗り気でないとも言われている。そもそも、ビーンの関心は映画の行く末などではなく、アスレチックスの再建に向けられているはずだ。映画「マネーボール」の復活が決まった今、我々が気になるのもビーン流「マネーボール」の行く末だ。

<了>
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著者プロフィール

静岡県出身。地方公務員、英会話講師などを経てライターに。メジャーリーグに精通し、2004〜08年はスカパー!MLB中継、16〜17年はスポナビライブMLBに出演。30年を超えるスワローズ・ウォッチャーでもある。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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