パオロ・マルディーニであるということ=ACミラン公式サイト・インタビュー
小さいころは「マルディーニ」の名で傷ついた
父も偉大なサッカー選手だったことから、マルディーニはつらい思いをしたようだ 【Getty Images】
ローマ戦のあとに(ミランのオーナー)ベルルスコーニが言ったことに僕は賛成だ(マルディーニにブーイングをしたサポーターにベルルスコーニが反論した)。クラブはたった1人の人間によってそのカラーが決まるものではなく、ミランとはティフォージであり、選手であり、経営陣だ。彼の言葉で僕は落ち着いた。彼はあのローマ戦後に、僕が聞きたいと思っていたことを言ってくれた。
ローマでのCL決勝後のグアルディオラのふるまい(「優勝カップをマルディーニにささげたい」と発言した)は、すごくうれしかったね。彼はCLを制して、そのすぐ後に僕のことを考えてくれた……。いや、すごくうれしかったけど、バルセロナには行かないよ。あの試合以前、僕とグアルディオラは互いに会話を交わしただけで、特に友達というわけでもないのに、あの試合を僕にささげてくれた。つまりは、彼が心からそうしたいと思ってくれたということだろう。
小さいころは「マルディーニ」の名を持ち出されて傷ついたこともあったけど、おかげで僕は成長した。ベルルスコーニが(ミランを)売却するなんてことはないだろう。彼はオーナーを続けるはずだ。過去にも、多くの選手が辞めて再建を迫られ、目標もより小さくなった時期もあったけれど、ミランは常に復活を遂げてきた。
僕の今後? まずは家族と過ごすこと。いくつかなじみのスポンサーからオファーはあったけど、どこにも「イエス」とは言っていない。偉大な選手が偉大な経営者になるとは限らない。オファーのあったユースチーム(指導者)の件も僕の望みとは違う。そのポストには経験のある人が必要で、僕にはそれがないから。
本当に素晴らしい最後の1年間だった
僕がもし自分の息子たちの意見を聞いていたら、僕はあと5〜6年は現役を続けなきゃいけなかっただろう。彼らは、リッキー(カカの愛称)のあのテクニックに魅せられていた。リッキーはなぜか子供たちの心をひきつけるんだ。彼らも、今後もずっとミラニスタ(ミランサポーター)を続けていくだろう。
本当に素晴らしい最後の1年間だった。僕は最高の環境で自分が愛するスポーツができた。僕がこれまでやったことは、何ものも傷つけられないし触れられない。タイトルのない1年間があったとしても、僕のキャリアには響かないよ。最高の時期は1つに決められない、2〜3度はあるかな。カペッロの初年度とその翌年、ザッケローニが監督をしたあの1年、そしてカルロ・アンチェロッティ監督下での2003年と04年。
あとサッキの時代もそうだ。あそこで成長して代表入りを果たしたから。すべてのベースになっていたのは情熱だ。常に、さらに上を目指し、最後は自分自身との戦いだった。サッカーをしていると人間的にも成長するし、他人を尊重する気持ちが養われる。僕は16歳ですでに大人の世界で働いていて、そこでの成長のおかげで、やがて自分も人から尊敬される人間となった。そのきっかけとなるのがスポーツへの情熱だ。
僕はたくさんのいいお手本を得て、彼らから学ぼうと努力した。あと大事なのは家族、僕を導き、しつけてくれる人が僕の近くにはいた。僕には後悔はまったくない。負けるのはすごくつらいことだけど、それもまたサッカーの一部だ。4回のワールドカップ出場を経験して何かタイトルは欲しかったけど、それでも素晴らしい(代表での)15年間だったことに変わりはない。あとちょっとの幸運があれば、僕が辞めてからイタリア代表が取ったタイトルを、僕も経験できたのかもしれないけどね。
(チェルシーの新監督に就任した)アンチェロッティについては、イングランドのサッカーに慣れていかなきゃいけないし、英語もちゃんと習得しなきゃね。レオナルドはひとつの賭け、そして会長は常にこの賭けに勝ってきた。革新的な戦力や若い力を注ぎ込むのは悪くない。思い切った選択ではあるけど悪くないよ。監督は大事で、グループをうまく回していかなきゃいけないし、タイトルを取りにいくなら年間を通じてロッカールーム内を取りまとめることも欠かせない。自分が指揮するチームに、うまく自分のカラーを浸透させる監督は数多くいる。
<そのほかの情報は、acmilan.comで>