ランディ・ジョンソン、300勝への軌跡=左腕史上5人目の偉業達成
マリナーズ移籍後に急成長、制球難も克服
ナショナルズ戦で通算300勝を達成し、声援に応えるランディー・ジョンソン 【Getty Images】
エクスポズから獲得した3選手のうち「目玉」とされたのは、身長6フィート10インチ(約208センチ)で“メジャーリーグ史上最長身投手”の触れ込みだったランディ・ジョンソン(現ジャイアンツ)だった。メジャー1年目の前年こそ3勝0敗、防御率2.42だったものの、この年は開幕からの7試合で0勝4敗、29回2/3で与四球26、防御率6.67でマイナーに降格しており、ラングストンに見合う交換相手とはとても思えなかった。
だが、翌90年、6月2日のタイガース戦で球団史上初のノーヒッターを達成するなど14勝を挙げたのを皮切りに、ジョンソンは以後マリナーズでフルシーズン戦った8年間で7回の二ケタ勝利をマークする。92年まで3年連続でリーグ最多となる120四球以上を与えた課題の制球難も、尊敬する奪三振王ノーラン・ライアン(当時レンジャーズ)とそのコーチだったトム・ハウスにメンタルトレーニングの指導を受けて改善に転じた。93年には308奪三振でラングストンの球団記録を更新するなど19勝をマークし、与四球も99と初めて二ケタに抑え、以後現在まで毎年100を超えていない。ストライキでシーズンが短縮された95年には18勝2敗で初のサイ・ヤング賞に選ばれ、オールスター戦ではア・リーグの先発投手として野茂英雄(当時ドジャース)と投げ合っている。
脅威のボールにリーグ屈指の強打者が“敵前逃亡”
ジョンソンは翌98年途中にアストロズへトレードされ、99年にはダイヤモンドバックスにFA移籍し、2001年には21勝6敗、自己最多の372奪三振で球団創立4年目のチームを初のリーグ優勝に導いた。ヤンキースとのワールドシリーズでは第2戦で完封、第6戦でも2勝目を挙げた後、第7戦ではリリーフで登板し、チームの劇的な逆転サヨナラ勝ちを演出して、二枚看板だったカート・シリングとともにシリーズMVPに選ばれた。04年5月18日の対ブレーブス戦では、13奪三振で自身二度目のノーヒッターを史上17人目の完全試合で達成し、同年9月17日にはスティーブ・カールトン(元フィリーズなど)を抜いて左腕投手の通算奪三振数でメジャー1位となった。
05・06年の2シーズン、ヤンキースに所属して2年連続17勝をマークした後、オフにダイヤモンドバックスに復帰した時点で通算勝利は280に達していたが、07年は4勝を挙げた後、故障が再発してシーズン途中に再手術を受け戦線を離脱した。左腕、腰と度重なった故障歴や45歳を迎えようとしていた年齢もあり、300勝達成は難しいと思われた。しかし、08年は打線の援護が得られない試合が続きながら11勝で大台にあと「5」までこぎつけ、メジャーで6チーム目となったジャイアンツのユニホームに袖を通した今年6月4日、左腕投手として史上6人目の通算300勝を達成した。
史上最後の300勝投手となる可能性も
(日付はすべて現地時間)
<了>
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